今回は伏見桃山プンプン
こちらは京阪電車の桃山駅照れ
踏切と電車の近さは日本一かもね爆笑

桃山と言えば御香宮神社ニヤリ
近鉄、桃山御陵前駅や京阪、桃山駅からすぐ爆笑

御香宮神社
【ごこうのみやじんじゃ】
当社は通称「ごこんさん」として古くより地域の人々から親しみをもって呼ばれ、旧伏見町一帯の氏神として信仰を集めている。

創建時は不詳であるが、御香宮縁起(三巻)によれば、貞観4年(862)9月9日御諸神社境内より「香」のよい水が湧出する奇瑞により、御香宮の名を清和天皇より賜ったとされている。

しかし香椎宮編年記(香椎宮蔵)によれば弘仁14年(823)御祭神神功皇后の神託により、この地に宮殿を修造し椎を植えて神木としたと伝えられている。

室町時代、当社は伏見九郷の荘民等の「一庄同心」という精神的な支えの中心となっていた。

天正18年(1590)小田原の北條氏を滅亡させ、天下統一を遂げた豊臣秀吉は、当社に戦勝祈願をなし、太刀(重要文化財)と願文を納め社領三百石を寄進した。

文禄3年(1594)秀吉は伏見築城に際して城の鬼門除けの神として城内の艮の隅に勧請した。

慶長10年(1605)徳川家康は再び社地を元の地に復し、本殿を造営し秀吉にならって社領三百石を寄進した。

元和8年(1622)伏見廃城に先立って、水戸徳川家の初代徳川頼房が伏見城の大手門を拝領、それを当社の表門として寄進した。寛永2年(1625)には、都名所図絵巻五に

御香宮(略)「拝殿南のもん」彫刻等華美なり、伏見の城中にありしをここにうつす

として紹介されている拝殿を紀州徳川家の初代徳川頼宣が建立されたと伝えられている。

慶応4年(1868)正月、鳥羽伏見の戦いの際には伏見奉行所に旧幕府軍が拠り、当社は新政府軍(薩摩藩)の屯所となったが、幸にして戦火は免れた。

10月上旬に行われる神幸祭は、伏見九郷の総鎮守の例祭とされ、古来『伏見祭』と称せられ、今も洛南随一の大祭として評判を得ている。


大鳥居
最近塗り替えたとの事なんでピッカピカラブ
この道は交通量が多いですが…えー
運良く撮影できました照れ


表門 
元和8年(1622)、徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進プンプン

雄渾な蟇股、 どっしりと落ち着いた豪壮な構えは伏見城の大手門たる貫録を示しています照れ

特に注目すべきは、正面を飾る中国二十四孝を彫った蟇股で、向かって右から、 楊香、郭巨、唐夫人、孟宗の物語の順にならんでいるんよニヤリ

また、両妻の板蟇股も非常に立派で桃山時代の建築装飾としては、 二十四孝の彫刻と併せて正に時代の代表例とされているんだとかびっくり

明治39年には重要文化財に指定されました照れ


手水舎
二連の竹から水照れ
柄杓はなくキョロキョロ
直タイプでした爆笑


本殿(重要文化財) 
慶長10年(1605)、徳川家康の命により京都所司代坂倉勝重を普請奉行として着手建立プンプン

大型の五間社流造で屋根は桧皮葺(ひわだぶき)、正面の頭貫(かしらぬき)、木鼻(きばな)や蟇股(かえるまた)、 向拝(こうはい)の手挟(たばさみ)に彫刻を施し、全て極彩色で飾られています照れ

また背面の板面の板壁には五間全体にわたって柳と梅の絵が描かれているんよびっくり

全体の造り、細部の装飾ともに豪壮華麗でよく時代の特色をあらわし桃山時代の大型社殿として価値が高く、昭和60年5月18日重要文化財として指定ニヤリ

現社殿造営以降、江戸時代社殿修復に関しては、そのつど伏見奉行に出願し、それらの費用は、紀伊、尾張、水戸の徳川御三家の寄進金と氏子一般の浄財によって行われたんやってびっくり

大修理時には、神主自ら江戸に赴き寺社奉行に出願して徳川幕府直接の御寄進を仰いだ例も少なくなかったとかキョロキョロ

平成二年より着手された修理により約390年ぶりに極彩色が復元されたんやって照れ


御祭神 
神功皇后 

日本第一安産守護之大神と称せられる神功皇后を主祭神とし、仲哀天皇、応神天皇ほか6柱の神をお祀りしています照れ

日本武尊の第二皇子である仲哀天皇の后、応神天皇の生母えー

神功皇后は、当時王権に抵抗していた九州熊襲の征伐に随伴、仲哀天皇自ら親征されるもはかばかしからず、不幸陣中で崩ぜられたえー

そこで皇后は、竹内宿禰と議し、熊襲よりも先ずその後押しを断とうとされ、御懐胎の御身ながら、朝鮮半島へ自ら兵船を進められたとかびっくり

間もなく筑紫に凱旋され、お生まれになったのが誉田別命、即ち応神天皇プンプン

皇后は初めての摂政として、天皇を助けること70年えー

内は複雑な内紛を処理して、国内の充実を図り、外は国際的主導権を握り、ここに初めて我が国民の民族意識が自覚プンプン

御子、応神天皇は渡来人の技術集団を用い国土を開発、儒教・漢字等を取り入れ文化振興を行い、国家を飛躍的に発展ニヤリ

このように、混沌たる状況の中でも、無事応神天皇を出産し、立派に育て上げられた経緯・功績から「聖母」とも呼ばれ、安産・子育ての神として篤く崇敬されているんです照れ


狛犬
なんとなく…品があるような…キョロキョロ


本殿の所にあった手水照れ
鳩の水呑場になってましたニヤリ


安産乃社 
赤ちゃんを抱いた母親の像照れ


御香水 
名の由来となった清泉で「石井の御香水」として、伏見の七名水のひとつに数えられているんです照れ

平安時代の貞観4年(862)9月9日、境内より水が湧き出し、良い香りが四方に漂い、この水を飲むと病気がたちまち癒えたという奇瑞により、清和天皇から「御香宮」の名を賜ったとかびっくり

徳川御三家の藩祖である頼宣、頼房、義直の各公は、この水を産湯として使われたと伝わってますプンプン

絵馬堂には御香水の霊験説話を画題にした『社頭申曳之図』が懸っていましたキョロキョロ

明治以降、涸れていたのを昭和57年復元、昭和60年1月、環境庁(現、環境省)より京の名水の代表として『名水百選』に認定ニヤリ

硬度はミネラル分を程よく含んだ中硬水で、地中150メートルから汲み上げていることから年間を通して17度前後の水温を保っているんですニヤリ

この水は霊水として信仰され、病気平癒にご利益があると言われ多くの方に好まれています照れ

更に多数の茶道、書道の関係者にも利用されているんやってウインク


能舞台 
明治11年に九社殿の北三間を改築して造られたものえー

今から600年ほど前から能楽の先行芸術である猿楽が当社で盛んに行われていたプンプン

特に秀吉はこれを愛好し、当社を大亀谷へ遷した際にも境内に能楽台を建てたえー

それを家康が現在の地に移したが、その後大破したため宝永5年(1708)に取り壊されたガーン

その後は、神能奉納の度に仮設の舞台を組み立ていたが、明治11年に和楽社を組織し、能舞台を完成プンプン

現在では秋の神能奉納を始め、区民文化祭、春秋の謡曲大会などに使用されているんだとかウインク


稲荷社 
御香宮神社の末社で、菊姫大明神と源福大明神を祀る社ニヤリ

宝永7年(1710)建立えー


厳島社 
御香宮神社の末社で、厳島大神を祀る社照れ創建は不詳ショボーン

明治時代に描かれた境内図には、現在の豊国神社の辺りに鎮座しているのが確認できるんだとかキョロキョロ

昭和36年の国道24号線拡張工事よる境内地譲渡に伴い、現在の位置に遷座したんやってえー


松尾社 
御香宮神社の末社で、松尾大神を祀る社照れ明治24年建立えー

元は東末社にて山祇社として祀られていたが、当時の神職、氏子総代らの連署をもって松尾社と改めたえー

御祭神が酒造祖神であることから、工事費は全て伏見酒造組合の献納によるものなんやってびっくり

以来、毎年12月の中卯の日には同組合より、その年の醸造の安全を祈願する醸造始祭が斎行されるんです照れ


東照宮 
御香宮神社の末社の一つで、徳川家康を祀る社ニヤリ

本殿は元和8年(1622)水野遠江守の造営にかかり、拝殿は寛永19年(1624)小堀遠江守の寄進によるものびっくり

御香宮神社の本殿が家康の造営によることから、江戸時代においては特に重きをなしていたえー

創建時は現在の大神宮の東隣に鎮座し、社殿は南面していたとかキョロキョロ

周りを池に囲まれていたことから正面には橋が掛けられており、他とは一線を画す末社として整備されていたんだとかニヤリ

昭和36年の国道24号線拡張工事に関わる境内地譲渡に伴い、現在の位置に遷座プンプン


末社 
向かって左から、金札宮、那智、熊野社、新宮、天満天神、春日大明神の6社を祀ってますニヤリ


大神宮 
御香宮神社の末社で、伊勢神宮の大神を祀る社照れ
元禄7年(1694)建立えー
拝殿は元文2年(1737)建立ニヤリ


豊国社 
御香宮神社の末社で、豊臣秀吉を祀る社照れ明治6年創建ニヤリ

創建時は稲荷社の北側に鎮座していたが、明治40年に現在の位置に遷したえー

明治元年に明治天皇が勅令にて豊国神社を再興させたことを機に、当社においても由緒との関わりを鑑み、建立プンプン

東照宮と豊国社を同じ境内に祀る神社は、全国でも珍しいんだとかびっくり


「御香水」の石碑と「神鑒静」と刻まれた石の井戸ニヤリ
御香水の始まりかな?爆笑


絵馬堂 
宝暦5年(1755)建立プンプン
現在約80体ほどの絵馬が掛けられており、元禄享保以前に奉納されたものも見受けられるびっくり

中でも正保3年(1646)に奉納された「社頭猿巡しの絵馬」は御香水の病気平癒伝承が描かれているんよ照れ

また、算額と呼ばれる数学の問題が書かれた絵馬もあり、西岡天極斎の奉納にかかるんですニコニコ


参集館 
昭和9年に上皇陛下の御生誕記念事業として、氏子が集会できる場所作りを目的に建てられたプンプン

工事費は全て月桂冠11代目当主・大倉恒吉氏の献納によるものとかびっくり

現在は、貸出施設として、町内会議や作品の展示会、各種イベントなどで使用されているんやってえー


桃山天満宮 
文禄3年(1594)豊臣秀吉の伏見築城にあたり、諸大名の屋敷を城の周辺に作らせた際、前田利家が、自分の祖先は菅原道真公であるからと、その境内に隣接した所に屋敷を建て、天満宮を祀ったプンプン

元和9年(1623)伏見城廃城後は、天満宮を管理するものがなく、荒れ果てていたが、天保12年(1841)に観音寺の近くに遷され、住職教覚和尚により祀られたとかえー
その後、昭和44に御香宮の境内に遷し、現在に至るんです照れ


神牛 
ご祭神・菅原道真は乙丑(きのとうし)の年生まれであり、亡くなった日が丑の月の丑の日プンプン

道真公の墓の場所を定めたのが牛であるなど道真と牛は深い関わりが深く、牛は天神さん(=道真)のお使いといわれています照れ

そのため天満宮には神牛の像が安置されているんよねえー

神牛の頭を撫でると知恵がつくといわれています爆笑


伏見城跡残石
旧伏見城の石垣に使用されていた石だそうですびっくり


伏見義民の碑 
天明5年(1785)、時の伏見奉行小堀政方の悪政を幕府に直訴し、伏見町民の苦難を救い、自らは悲惨な最期を遂げた文殊九助ら7人を伏見義民というんやってえー

この碑は明治20年に建てられたもので碑文は勝海舟の撰、題字は三条実美の書びっくり

毎年5月18日には伏見義民顕彰会によって慰霊祭が斎行されるんやってニヤリ


狛犬…めちゃ怖いガーン 
顔…脹らみ過ぎニヤリ 


京都府京都市伏見区御香宮門前町174


伏見桃山の大手筋にあるラーメン藤さんに照れ
ここはえー
な、なんと朝7時から営業されているんです~チュー

朝ラーを食べにやってきました爆笑

到着したのが朝8時えー
もう満席で外に1組がお待ちびっくり
皆さん朝からラーメンニヤリ
お元気ですね 爆笑

みぞかつもですが・・・ てへぺろ

ラーメン藤本店の創業は昭和47(1972)年
始めは うどんの製麺所からスタートニヤリ

京都を代表する老舗製麺所の一つ近藤製麺
新福菜館本店から中華麺の製造を依頼されえー

以降は中華麺の製麺所となりえー
ラーメン藤は近藤製麺直営のラーメン店です爆笑


特製みそラーメン 950円 
スープは、豚のコクが強く出た醤油と味噌を足してニヤリ

やや塩気が強い感じなのですが、その中に、ほのかな甘みを感じるような深い味わいのスープ照れ

このお店、第一旭などでは、豚骨からダシを取るのに対し、豚もも肉からダシを作るそうですキョロキョロ

そして使用した豚肉はチャーシューとしても使用するとか照れ

そのあたりが、オーソドックスながらも第一旭系のラーメンの中では、独特の味わいのあるスープに仕上がっていると思いますウインク

チャーシューは肉肉しい感じで塩気が効いていますニコニコ


麺は、もちろん近藤製麺爆笑
低加水で普通の太さのストレート麺照れ
スープを吸ってモチっと感もあり良いですニヤリ

伏見桃山駅から632m 
京都府京都市伏見区村上町364-5