この日最後は二十三番札所の東寺プンプン

東寺 [とうじ]  
東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えました。

中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めるようになり、21世紀の今日も京都の代表的な名所として存続しています。

昭和9年(1934年)に国の史跡に指定、平成6年(1994年)12月には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。


南大門(重要文化財)
明治28年(1895年)、三十三間堂の西門を移築したものなんやってぇびっくり

九条通り(九条大路)に面しており、京阪国道口交差点から東へ約100mの場所にあるんですぅおねがい

めちゃ人びっくり
この日は…ガラクタ市が行われてていて…
境内は人、人、人…ガーン
人酔いしそう…えーん


手水舎
デカイびっくり
でも…
水が…出ていない…えーん

       
八島社殿
東寺以前から鎮座してるんやってぇ〰️
びっくり
東寺の地主神やなぁ〰️照れ


金堂 (国宝)
重要文化財の薬師如来、日光菩薩、月光菩薩が、十二神将が祀られています照れ

東寺の中心堂宇で、諸堂塔のうちもっとも早く建設が始められ、東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと推定さてるんやってぇ照れ

当初の堂は文明18年(1486年)の土一揆で焼失しガーン
その後1世紀近く再建されなかったショボーン

現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもので、奉行として片桐且元が任に当たったそうですおねがい

入母屋造本瓦葺きで、外観からは二重に見えるが一重裳階(もこし)付きでなんやってびっくり

建築様式は和様と大仏様(天竺様)が併用され、貫や挿肘木を多用して高い天井を支える点に大仏様の特色が見られるそうです照れ

内部は広大な空間の中に本尊の薬師如来坐像と日光菩薩、月光菩薩の両脇侍像が安置されてましたぁラブ


講堂 (重要文化財)
ここにお目当ての仏像がずらりと鎮座されていると思えば歩みも自然と早くなる、というよりはほとんど競歩状態で中へ入りましたぁ〰️チュー

講堂には大日如来をはじめとする21体の仏像が所狭しと安置されているぅ〰️ラブ

これが空海の構想によると言われる立体曼荼羅なんかぁ〰️びっくり

講堂四隅に四天王(持国天・多聞天・増長天・広目天)が、左右端に帝釈天・梵天が、そして中央に大日如来を中心に五智如来(大日如来・不空成就如来・阿弥陀如来・宝生如来・阿閦如来)、右側に金剛波羅密多菩薩を中心に五菩薩
(金剛波羅密多菩薩・金剛業菩薩・金剛法菩薩・金剛宝菩薩・金剛薩埵菩薩)、左側には不動明王を中心に五大明王(不動明王・大威徳明王・軍荼利明王・降三世明王・金剛夜叉明王)が配置されていたぁ〰️ラブ
本当に凄い迫力です照れ


食堂
講堂の後方、境内の北寄りに建ってますぅおねがい

初代の食堂は空海没後の9世紀末から10世紀初め頃にかけて完成したと推定されるが、文禄5年(1596年)の地震で倒壊ガーン

2世紀以上後の寛政12年(1800年)にようやく再建工事が始められたんやってぇ照れ

この江戸時代再建の食堂は昭和5年(1930年)に火災で焼失しガーン
現在の建物はその後の再建で、昭和9年(1934年)に完成したものであるチュー

地震や火災と……いろいろあったんやねぇ……キョロキョロ

旧本尊の千手観音立像はこの時の火災で焼損したが、昭和40年(1965年)から修理が実施され、現在は寺内の宝物館に安置されているんですぅ照れ

現在の食堂には明珍恒男作の十一面観音像が本尊として安置されてまぁ〰️すラブ


五重塔 (国宝)
日本一の高さなんやでぇ〰️ラブ
東寺のみならず京都のシンボルとなっている塔なんやぁ〰️チュー
高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇るんです照れ

天長3年(826年)空海により、創建着手に始まるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であったと言われてるんですキョロキョロ

雷火や不審火で4回焼失しておりガーン
4回も……ムキー

現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものですぅおねがい

初重内部の壁や柱には両界曼荼羅や真言八祖像を描き、須弥壇には心柱を中心にして金剛界四仏像と八大菩薩像を安置されてます照れ

真言密教の中心尊であり金剛界五仏の中尊でもある大日如来の像はここにはなく、心柱を大日如来とみなしているとの事ですおねがい


境内はお堂だけではなくてお庭も素敵なんです照れ


東寺は蓮の名所でもありました爆笑


鐘楼
足利尊氏寄進の鐘なんやってぇびっくり
今は2代目との事で……
足利尊氏とは関係ないんちゃうの……キョロキョロ


大日堂
もとは御影堂の礼拝所プンプン
後に、桓武天皇・嵯峨天皇・足利尊氏などの位牌を納める尊拝堂となり、平安時代の大日如来像を安置したことで大日堂となったんです照れ


毘沙門堂
兜跋毘沙門天像(国宝)を安置するために建てられた堂照れ

兜跋毘沙門天像は、弘法大師が中国・唐で手に入れたもので、939年(天慶2年)の平将門の乱の際に都の守護神として羅城門の上層に安置されたが、978年(天元元年)の台風で羅城門が倒壊した後、東寺に移されたんですプンプン

その後、食堂に安置されたりしていたが、1822年(文政5年)に毘沙門堂が建てられた(※現在は宝物館に安置されている。)
学業成就、安産の神として信仰を集めています照れ

~都七福神~
毘沙門堂の兜跋毘沙門天は、日本最古という「都七福神」の一つウインク
他の神は、ゑびす神(ゑびす神社)、大黒天(松ヶ崎大黒天)、弁財天(六波羅蜜寺)、福禄寿(赤山禅院)、寿老神(革堂)、布袋尊(萬福寺)照れ

~平将門~
平将門は、桓武天皇から5代目の子孫。平姓を授けられた高望王の三男で下総国を本拠としていた平良将の子えー
将門は、一族間の争いに勝利し、次第にその勢力を拡げていくが、それが謀反とみなされ、やがて朱雀天皇に対抗し新皇と称するようになりますえー
しかし、間もなく藤原秀郷と平貞盛によって鎮圧されたました(940年(天慶3年)2月14日)えー

のちに、源頼朝が挙兵したときに参じた三浦氏・千葉氏は、将門を援護したという叔父の平良文を祖とし、坂東八平氏と呼ばれることにニヤリ


大黒堂
本来は、御影堂生身供の御供所でしたが、大黒天を祀るようになったため、大黒堂と呼ばれるようになりました照れ

寛文12年(1672)の棟札によると御供所と廊下を新造したとあり、現在のものは江戸時代末の改築を経ているものと思われるとかびっくり

ここに祀られている三面大黒天は、空海(弘法大師)作と伝えられています照れ

三面大黒天は、大黒天・毘沙門天・弁財天が合体したもので、御縁を結ぶことで、三天が持つ、福寿円満、福徳富貴、子孫繁栄などのご利益を授かることが出来るといわれていますウインク


洛陽三十三所観音霊場 二十三番札所
京都府京都市南区九条町1


東寺東門前にあるお店えー
御菓子司 東寺餅さん爆笑
大正元年創業、当代三代目が暖簾を受け継ぐ和菓子店プンプン
元々は兵庫で『城崎屋』を創業、初代が当地に店を移転し、二代目が戦後に屋号を変えたのだとか…えー
ケースの中には庶民的な生菓子の他に干菓子なども並んでます爆笑
店名にもなっている名物「東寺餅」なんよ照れ


東寺餅 150円
「総本山東寺御用達」だけに、東寺の名前が付いている、東寺餅プンプン

ふんわり〰️もっちりしているんですラブ
上品な甘さで、めちゃ美味しいぞぉ~チュー

求肥にメレンゲを入れているんですってびっくり
メレンゲを加えることで、のどごしがよくなって、ツルンと照れ
普通のお餅やと、その日のうちに食べないとすぐ硬くなってしまうけど、東寺餅は2日ぐらいこの柔らかさで食べられるんですニヤリ

もともと“東寺餅”ってお餅は、お店に置いてなかったんとかびっくり
でも店名が『東寺餅』やから、お客さんが『東寺餅くださいな』って買いにきはるとかえー
そこで東寺餅が誕生したんやって爆笑

東寺駅から414m
京都府京都市南区東寺東門前町88