東大寺part2〜チュー


四月堂の所の手水照れ
龍がカッコイイよなぁ〜爆笑


四月堂(三昧堂)
かつて旧暦の4月に法華経に由来する法華三昧会が行なわれたことから、四月堂の通称なんよえー

古くは普賢堂、普賢三昧堂とも呼ばれ、普賢菩薩が本尊だった時代もあり、堂内には小像ながら平安期の普賢菩薩騎象像を安置照れ
法華経を信仰する者のところに、白い象に乗って現れる姿を表しており、御堂の由緒を偲ばせてます照れ

平安時代の治安元年(1021)に創建されたとの記録が残るみたいなんやけど…治暦3年(1067)の説もあるんやってびっくり

現在の建物は方三間の二重寄棟造であり、化粧裏板の墨書から江戸中期、延宝9年(1681)の建立と分かるが、随所に鎌倉期に遡ると目される古材が用いられ、重要文化財に指定されてるんですラブ

堂内には十一面観音像や阿弥陀如来像(いずれも重要文化財)など、平安期の仏像も安置されていて素敵でした照れ


法華堂(三月堂)
法華堂は三月堂と呼ばれ、733年に創建された東大寺最古の建造物として有名で国宝に指定プンプン

創建当初は東大寺の前身である金鐘寺の伽藍の一つであったと考えられ、当時は羂索堂とも呼ばれていましたえー
旧暦の三月に法要があることから三月堂と呼ばれるようになったんやってニヤリ

建物の北側(画像左側)の、仏像が安置されている寄棟造の部分を正堂(しょうどう)、南側の入母屋造部分を礼堂(らいどう)と呼びますえー
正堂は奈良時代の建築、礼堂は奈良時代にも存在しましたが、現在あるものは鎌倉時代の正治元年(1199年)ごろに付加したもので、よく見ると瓦の色が違う事がわかるんやってニヤリ

本尊 不空羂索観音菩薩像(国宝)
脱活乾漆 像高362cm、創建年代:奈良時代
法華堂の本尊として内陣中央の須弥壇上に安置されています照れ
悩める人々をどこまでも救いにおもむこうとされている不空羂索観音なんやねニヤリ

正面で手を合わせている手の間には水晶があるのでぜひ見つけて欲しいとかびっくり
頭上の宝冠は、正面に銀製の阿弥陀如来像を飾り、数多くの宝石や透かし彫りで飾った華麗なものでこちらも併せて注目してねウインク
興福寺南円堂、不空院と並ぶ「奈良三大不空羂索観音像」として知られます照れ

秘仏 執金剛神立像(国宝)
塑像 像高170.4cm、製作年代:奈良時代
執金剛神像とは金剛杵を執って仏法を守護する神のことで、金剛力士(仁王)はこの神将が発展して生まれたといわれていますえー

この像の成立時期については諸説ありますが、東大寺の前身である金鍾寺時代の良弁によって発願されたとすることはまちがいないとされていますウインク
保存状態が非常に良く、現在も一部極彩色が残っていました照れ


 法華堂経庫
もとは東大寺油倉の上司倉えー
本坊経庫(非公開)とともに、東大寺食堂跡の北東に位置する油倉の地に並んで建っていましたえー
 
正徳4年(1714)現在地に移したと伝えられ、天平時代の創建とみられます照れ
 
三角形断面の校木を井籠に組んだ校倉の基本的な形式プンプン
校倉は校木(あぜき)を井楼組(せいろうぐみ)と呼ばれる井桁状に組み上げて壁をつくり、柱を用いない構造えー
壁体の木材が、空気中の湿度に合わせて伸縮し、すき間をつくったり閉じたりするため、室内の湿気を調整できることが利点があるんやってニヤリ


不動堂
江戸時代中期頃に公慶上人(こうけいしょうにん)が建立し、護摩堂と言われていたとも言われています。

その後1945年(昭和20年)頃に現在の場所に移され、不動堂と言われるようになったと言われています。

不動堂は五大明王像(ごだいみょうおうぞう)を安置照れ
五大明王は魔を降伏させる不動明王(ふどうみょうおう)・降三世明王(ごうさんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)ですえー
五大明王は平安時代前期に密教が隆盛すると五壇法(ごだんほう)の本尊として五大明王が祀られるようになりましたニヤリ

仏像では平安時代前期の839年(承和6年)に造仏され、京都・東寺(とうじ)講堂に安置されている五大明王が最古とされていますびっくり 


二月堂の手水ラブ
めちゃ好きかも照れ


二月堂
「二月堂」に「二月」という名が付けられている理由は、お水取りが旧暦の2月に行われることに由来プンプン

御本尊としては堂内に2体の大観音、小観音と言われる十一面観音像が安置されていると言われていますが、絶対的な秘仏とされており、その姿を一般の方が目にすることは出来ませ〜んえーん

東大寺を代表する仏堂である二月堂の歴史としては、修二会(お水取り)の創始を奈良時代中頃の「752年」にまでさかのぼると言われており、二月堂本体の正確な建立年代は不詳ですが、その時期に同じく創建されたものと考えられていますえー
なお、修二会の創始者は「実忠」と呼ばれる、東大寺創建に深く関わった「良弁」僧正の高弟となっていますニヤリ

その後は大仏殿をはじめとする多くの建造物が焼失した、平重衡の兵火(南都焼討)や松永久秀の東大寺大仏殿の戦いなど苦難の歴史の中では焼損を免れましたが、江戸時代の1667年、お水取りの最中に起きた火災により焼失し、奈良時代からの建築は失われることになりましたガーン

現在の二月堂は焼失後すぐに徳川家の支援も受けながら再建が行われ、1669年に復興されたものプンプン

山麓に建ち、市街地を眺める位置にある二月堂の存在は、しばしば同じようなロケーションを持つ京都の清水寺と対比されることがあるんやってびっくり

実際にこのような眺めの良い、斜面に突き出した独特の建築様式は、懸造と呼ばれ、二月堂のほか、清水寺、石山寺、長谷寺といった斜面に面し、また観音様を本尊とする寺院に共通して見られる様式となっています照れ

規模としては正面(間口)が7間、奥行きが10間となっており、垂直部分の高さを考慮しなければ、清水寺に匹敵するような規模を持ってるんよえー

なお、内部については基本的に一般の観光客は一切立ち入ることが出来ませんが、3間×3間の内陣の他にも小部屋などで区切られた複雑な構造となっており、その中で「修二会」の主役である「練行衆」らが様々な祈祷、修行を行っているんやってえー

「二月堂」という存在を象徴するものと言えば、全国ニュースなどでもしばしば取り上げられる「お水取り(修二会)」と呼ばれる行事がその代表的な存在となっていますえー
「お水取り」は、2月ごろから準備がはじまり、一般の観光客向けの「お松明」を用いる行事は毎年3月1日から3月14日まで2週間に渡り行われ、正式には「修二会」と呼ばれてるんよニヤリ
修二会は、練行衆(れんぎょうしゅう)という選抜された11名の僧が執り行う複雑な過程、由来を持つ法要がその主たる内容となっていますえー
一般的に有名な火の粉が飛び交う行事は、練行衆を先導する童子が振りかざす松明から火の粉を散らす3月の期間中毎日行われる「おたいまつ」と、修二会のクライマックスに行われる「達陀」において、練行衆が自ら松明を振りかざす儀式があり、「お水取り」の名の由来である「水取」は、二月堂前にある井戸、若狭井から水を汲み、十一面観音に捧げる儀式となっています照れ

二月堂のご本尊としては、「大観音」・「小観音」の2体の十一面観音像を安置しており、これは「秘仏」ではなく、「絶対秘仏」となっていますガーン

「絶対」ということはどういうことかというと、「修二会(お水取り)」の行事を最前線で行う「練行衆」と呼ばれる僧侶たちですらその姿を見ることが出来ないということであり、現在生きている人でこの秘仏を見た人はまずいないということにもなりますガーン
ちなみに、修二会の期間中は、3月1日から7日までが「大観音」が本尊として、8日から14日までは「小観音」が本尊として扱われるという独特の決まりが設けられていますニヤリ

そのため、どのような仏像でいらっしゃるのかを知ることはおろか、その存在すら信じることでしか確かめようがないということになりますが、唯一の「証拠」として、東大寺ミュージアムにおいて、十一面観音像の「光背」だけは見学して頂けるようになっていますニヤリ
また、中世頃までは現在ほど厳格な秘仏ではなかったようで、「図像」として描かれたものが古文書として残されたりもしていますえー


二月堂舞台からの景観ラブ
めちゃ素敵でしょ〜爆笑


大湯屋
「おおゆや」と呼ばれるその建物は「湯」という文字が表しているように、簡単に言うと昔の「お風呂」がある施設となっており、かつての東大寺の僧侶たちがここで仏道に励むために「身を清める」ための沐浴を行っていたとされています照れ

大湯屋の歴史は大変古く、この建物の元となる施設は奈良時代から存在(創建年代は不詳)していましたが、平安末期の平重衡による南都焼討で焼失してしまい、現在残っている大湯屋はその後鎌倉時代に入ってから再建されたものえー

大湯屋の建物は基本的に公開はされていませんが、建物の中には「鉄湯船」と呼ばれる鉄で造られた湯船が現存しており、重要文化財にも指定されています照れ
また唐破風が付いた浴室なども残っており、一般的にイメージされる「東大寺」とは異なったユニークな風情を感じさせる空間となってるんやってニヤリ

なお、大湯屋の北隣には、「二月堂供田」と呼ばれる田んぼもありますキョロキョロ
こちらはお水取りの行事で使用されるお供えの餅などをつくるために餅米を栽培しているもので、「お寺の中の田んぼ」というこれまたユニークな存在となっており、「裏参道」からは田んぼと大湯屋のある味わい深い風景をご覧いただけるようになっています照れ


イチャイチャしてる鹿ラブ
羨ましいぞぉ〜
コノヤロー爆笑


戒壇院千手堂
国宝・四天王像で知られる戒壇堂の西側に、千手堂と呼ばれるお堂がびっくり
その名の通り、千手観音像(重文)を本尊とするお堂ですが、普段から公開されてはいませんガーン

千手堂は鎌倉時代後期に東大寺の大勧進を任せられた圓照上人は、その任期中、諸堂の造営に力を入れていましたプンプン
その中の一つが千手堂えー

文安3年(1446)に僧坊からの失火で戒壇院の主な伽藍が焼失しましたが、千手堂は免れましたえー

しかし永禄10年(1567)に三好・松永の兵火により焼失、慶長年間(1596〜1615)に寺僧成秀の尽力により再建プンプン

平成10年(1998)に火災により被害を受けるも、平成14年(2002)に被災前の姿に戻り現在に爆笑

千手観音菩薩立像(重要文化財)鎌倉時代 寄木造
こちらの御本尊は四天王像と共に黒漆塗厨子に納められ、中の須弥壇に安置されていますニヤリ
全身に金泥を塗り華麗な姿が特徴的で、鎌倉時代後期の作とされていますびっくり

東大寺の千手観音像と言えば、四月堂の千手観音像(現在は東大寺ミュージアムに安置)が有名ですが、全く雰囲気の違う千手観音像なんやってニヤリ

鑑真和尚坐像(重要文化財)江戸時代
こちらのお堂で本尊と等しく注目される仏像がこの鑑真和尚像えー

堂内北側に安置され、享保18年(1733)に戒壇院長老の勧進により唐招提寺開山堂の鑑真和尚像(国宝)を忠実に模刻した仏像ウインク
唐招提寺の鑑真和尚像は乾漆造ですが、こちらは木造ニヤリ
毎月6日、千手堂では、鑑真和尚の恩徳を偲び忌日法要を営んでいます照れ


転害門
転害門は、「奈良きたまち」の東端、正倉院の西に位置し、かつて東大寺境内の西側にあった3つの門のうちの現存する唯一の門爆笑
762年に建立されたとされる、三間一戸八脚門という形式を持つ非常に堂々たる門で国宝に指定されており、かつては佐保路門とも呼ばれていましたえー

この門は、東大寺の建築物の多くに損害を生んだ平安末期、1180年の重衡の兵火、また戦国時代、1567年の三好・松永の戦いにおいても致命的なダメージを受けることがありませんでしたウインク
すなわち一部修理がなされたとはいえ、現在に至るまで基本的には「奈良時代の建築」を維持しており、東大寺境内では非常に貴重な存在となっています照れ

「転害門」は、その呼び名を「てがいもん」と読みますが、その表記は、「転害門」のみならず「手掻門」・「手貝門」・「碾磑門」と表記されたこともあります(転害門前のバス停の名前は「手貝町」)ニコニコ
縁起の良い場所にあるために「害を転ずる」という意味から「転害」と表記されるといういわれや、この門の場所で行基が大仏開眼に携わった菩提僧正を手招きしたことから、その手で物を掻くような様子を「手掻」と表記したといういわれ、また美しい石臼があったから中国の石臼を意味する「碾磑(てんがい)」という漢字があてられたといった由来など、呼び名をめぐる興味深い諸説に溢れていますえー
また、悪七兵衛景清が、平家一門の恨みを晴らすため、源頼朝を暗殺しようとして隠れていたという言い伝えもあり、又の名を景清門とも言うとされていますえー


奈良県奈良市雑司町406-1


もちいどのセンター街にある人気カレー店
若草カレー本舗さんラブ
いついっても行列なんですえー
この日は開店と同時に入店 ふと・・・後を見ると・・・10名ほどガーン


スペシャルあいがけカレー 1390円→食べログクーポンを使って1190円爆笑
4種類でえー
ラムブラウンカレー
チキンカレー
若草カレー(ほうれん草)
大和牛マイルドカレー爆笑

ラムブラウンカレーには大きいブロック肉が入っていて4つの中では一番スパイシーでラムの旨味がぎっしり詰まっていました照れ

チキンカレーは、チキンとココナッツミルクで仕上げられてますニヤリ
鶏肉ゴロゴロな上にマイルドで食べやすいぞぉ爆笑

店名を冠した若草カレーは、ほうれん草をベースにチキン、野菜、たくさんのスパイスが効いててみぞかつ的には一番美味しかったかもウインク

大和牛マイルドカレーは、大和牛から出るコクがたまらないですおねがい
4種類の中では一番マイルドな仕上がりでしたニヤリ

卓上には辛増しスパイスがあるので、食べながら自分好みに微調整できるのもいいですウインク
ワンプレートで4種類のカレーを楽しめるこのスペシャルあいがけカレーは本当にオススメかもねぇ照れ

トッピングの野菜はナス、オクラ、ヤングコーン、パプリカ、カボチャ、レンコン、ジャガイモウインク

素揚げしたナスはカレーによく合いますなぁ照れ
ピクルスはミニトマトと玉ねぎおねがい
パパドも程よい塩味で良いアクセントになりますニコニコ
ご飯は雑穀を混ぜているようで、さらりとしたルーのカレーには白米よりも合うように思いました爆笑

近鉄奈良駅から419m
奈良県奈良市餅飯殿町38-1