大野寺からバスに乗り終点の室生寺へ照れ
今回のメインです爆笑
紅葉がめちゃ綺麗かと思ったんやけど行った時はちと早かったガーン

室生寺    【むろうじ】
天武天皇の勅命により役小角の草創と伝えられます。

奈良時代後半、皇太子山部親王(のちの桓武天皇)の病気平癒を願ってこの地で祈祷を行ったところ、親王は快癒され、これが室生寺創建へとつながります。

朝廷の仰せで、国家を護るための寺院へと発展していきました。

弘法大師が唐の恵果より授かった、三国伝来の如意宝珠を護る寺として信仰され、女人高野とも呼ばれます。


仁王門
元禄に一度焼失ガーン
その後長い間姿を消していたが、昭和40年(1965年)11月に再建されたんですプンプン

門の両脇で構える仁王像も、昭和に再興されたものえー
門の朱塗りも仁王像の色彩も、まだ色鮮やかで美しい爆笑

鎌倉時代の古地図によると、この「仁王門」のさらに奥には二天門があったと記録されているんやってびっくり


「仁王門」をくぐると、左手に変わった形の池がびっくり
この池は「バン字池」と言い、その名の通り梵字の「バン」の形をしており、大日如来を表しているんですプンプン
車のバンじゃないよ爆笑

古地図には、江戸時代の頃までこの場所には2つの池があり、それぞれの池の中には水天と弁天が祀られていたんやってえー

「鎧坂」の両側には、シャクナゲをはじめとした木々の枝が迫っていますプンプン

春のシャクナゲ、秋の紅葉と、この「鎧坂」を下から仰ぐ風景はとても絵になるんよね照れ


弥勒堂
鎌倉時代の建築で、屋根はヒノキやサワラの木を薄く割って重ねた杮葺照れ
周囲には縁をめぐらせていて雰囲気は最高爆笑

内陣には「弥勒菩薩立像」や国宝「釈迦如来坐像」などが祀られており、屋根裏からは籾塔(もみとう) という木製の小塔が多数発見されているんですえー

弥勒菩薩立像は、室生寺の仏像の中で最も古いとかキョロキョロ
奈良時代から平安時代にかけての仏像で、榧(かや)の一本造ニヤリ

本体はもちろん、蓮華座の上半分と両手・天衣・飾りまで含め、すべて一つの木材から彫り出されているんよびっくり

正面から見ると、腰のあたりを少しだけ曲げた姿勢をしているのも特長なんや照れ

国宝「釈迦如来坐像」は、平安時代前期に造られているんです照れ
同時代前期の仏像彫刻の中でも、特に優れた仏像として有名なんやってニヤリ

頭部には螺髪がなく、これは昔、この仏像が撫で仏として信仰されていたことによるとかびっくり

大小の波が打ったような衣の表現も、翻波式衣文(ほんぱしきえもん)と呼ばれる特長的な技法をもって彫られているんです照れ

金堂
平安時代初期の建築だが、江戸時代に増築もされているんてますえー
「金堂」の屋根を、横から見ると、内陣に安置された仏像を拝むためのスペースが追加されていることがよく分かるみたいキョロキョロ

この後に見る「五重塔」とともに、平安初期の山寺の仏堂としては日本唯一のもので、非常に貴重な建築物として高く評価されているですよ照れ
なお、蛙股には薬壷が刻まれてることから、ここはもともと薬師堂であったと考えられ、また内陣に安置されている釈迦如来立像(本尊)も、もとは薬師如来であったことが分かるんやってびっくり

内陣には、地蔵菩薩立像、薬師如来立像、釈迦如来立像(本尊)、文殊菩薩立像、十一面観音菩薩立像の五尊像が並び、手前には十二神将が安置されていました照れ

五尊像はそれぞれに大きさや作風が違うことから、本来このお堂には、本尊の釈迦如来、地蔵菩薩、十一面観音菩薩の三体が安置されており、神様の本当の姿は仏様であるという「本地垂迹説」に基づいて、文殊菩薩と薬師如来が追加されたのではないかと言われているんやってびっくり
ゆえに五尊像が並ぶには窮屈に見えるが、これもまた迫力があってなかなかのもんですプンプン

五尊像のそれぞれが、珍しい板光背をつけていることも特長であり、室生寺特有の貴重な作例として知られているんよえー

なお、本尊・釈迦如来立像の背後の板壁には、帝釈天曼荼羅の板絵が隠れているから見つけてみてねウインク


天神社拝殿
その脇には、大きな岩があってえー
この岩に近づいてみると、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)が彫られていました照れ
軍荼利明王は、密教において宝生如来の教輪転身とされており、さまざまな災いを取り除いてくれるというんですプンプン

一般的には腕を8本に表現されることが多いが、この「軍荼利明王石仏」の腕は10本びっくり

この場所に巨岩があること、また軍荼利明王が彫られていることについての詳細は不明だが、4年に一度、庚申の日に町の人々がこの「軍荼利明王石仏」を拝みに来ることが、この地域の習わしになっているとかキョロキョロ

拝殿の奥には天神社が見えてました爆笑


本堂 潅頂堂(かんじょうどう)
このお堂もまた国宝プンプン
建立は鎌倉時代・延慶元年(1308年)

このお堂では、真言宗の重要な法儀である潅頂が行われるんですプンプン

「潅頂堂」正面には、日本三如意輪の一つに数えられる如意輪観音菩薩像が安置照れ

なお、「潅頂堂」には悉地院(しっちいん)の扁額が掲げられているが、これはかつて室生寺にあった悉地院から移されたものとかえー

如意輪観音菩薩像も、その悉地院に祀られていたんやってニヤリ

潅頂とは、仏様と縁を結ぶための儀式のこと照れプンプン
壇の上に曼荼羅を敷き、樒(しきみ)の葉を持って目隠しをし、曼荼羅の上に落とすえー

その葉が落ちた位置に描かれている仏様と、縁が結ばれるというものキョロキョロ

一般の人が行う潅頂を「結縁潅頂(けちえんかんじょう)」、僧が修行をはじめる際に行うのは「受明潅頂(じゅみょうかんじょう)」、僧が修行を終える際に行う「伝法潅頂(でんぽうかんじょう)」など、潅頂にはさまざまな種類があるんやってえー

この儀式を行うため、「潅頂堂」には明かりとりの窓がなく、正面の蔀戸(しとみど)をおろすと、お堂内はほとんど暗闇となる構造になっていますびっくり

普段は白い曼荼羅が掲げられているが、潅頂の儀式の際には、色彩された室町時代より残る曼荼羅が使われるみたいキョロキョロ

さらに室生寺には、潅頂の際に用いられる法具が今も遺り、金銅密教法具にいたっては、大壇から四面器まで、儀式に使用する法具すべてが揃うんてます照れ
この法具は、延慶元年(1308年)のもので、鎌倉時代のものが一式で残っているのは日本で唯一なのだとかびっくり

なお、潅頂で用いられる曼荼羅は、特別拝観の際などに見ることができるみたいよ照れ


五重塔
国宝「五重塔」が緑の木立に囲まれ堂々と建っています照れ

石段を最後まで登りきり、塔の全貌を見ると、石段下から見た印象に比べあまりに小さいことに驚きましたぁびっくり

室生寺の「五重塔」は高さ16.22mで、屋外に建つ五重塔では日本で最も小さいんですプンプン
その小ささから、「弘法大師一夜造りの塔」と例えられることも…キョロキョロ

いくら弘法大師でも一夜では無理っしょえー

建立時期は室生寺の創建期である、天平時代末から平安初期まで遡るんですえー

塔の最上部を飾る相輪もまた、ほかの五重塔には見られない珍しい形式となっていて、
九輪の上の水煙を置く部分に、受花つきの宝瓶を据え、さらに天蓋と竜車・宝珠をあげていますびっくり
宝瓶の中には龍神がいて、塔を守っているのだとかラブ


伝北畠親房の墓
(室町時代初期・国重文)

『神皇正統記』の著者として知られる北畠親房と室生寺とどのような関係があるのか、よくわからないが、かなり昔より、北畠親房墓と伝えられてらしいキョロキョロ

大正時代に発掘調査が行われ、納入品(木製五輪塔や納骨壷)も発見されているが、埋葬されている者は確定出来ていないんやってガーン


めちゃ綺麗な文字の御朱印に感動ですラブ


限定よ青龍の御朱印ラブ

五重塔の後ろに、さらに山上へと続く道があるんよねえー
「奥の院」へと続く参道プンプン

杉木立の、昼でも薄暗い急坂を進むと「無明橋」が架かっていてえー

この辺りまでの山際は、暖地性シダ植物が自生する最北端の地として、天然記念物指定がされています照れ

橋から先から370段余りの石段を登るとやっと「奥の院」に辿り着くんやけど…
この石段が鬼のような急で…ガーン
倒れそうになったえーん



常燈堂(位牌堂)
常燈堂は懸造(かけづくり)の建物(崖などの急な斜面上に建築物を建てること)で昭和10年に建てられた近代のものなんやぁ照れ


御影堂
鎌倉時代の建物照れ
厚板による段葺の屋根で、その頂上には石造の露盤がありますびっくり

内陣には弘法大師四十二歳像という木像が安置プンプン
この「御影堂」は真言宗寺院に多い大師堂とは異なり、高野山御影堂の形式を伝える唯一の建物とのことなんやってびっくり
「御影堂」の傍らには、諸仏出現岩といわれる岩場があり、その頂上には七重石塔が建ってました照れ


奥之院の御朱印爆笑
奈良県宇陀市室生78


室生寺は、よもぎ餅が有名プンプン
バス停近くにあるよもぎ餅屋さんが室生よもぎ餅本舗 もりもとさんにお立ち寄り爆笑


やきもち(つぶあん) 130円
よもぎもち(こしあん)110円

こちらのお餅は、生よもぎ100パーセント使用なんやって照れ

生よもぎだからかどうかはわかりませんが…えー
お餅はよもぎの味が濃くて、やわらかくって
とってものびがいいんです照れ
あんこもほどよい甘さで食べやすいしウインク
焼き餅の食感が良くてオススメかもニヤリ

室生寺バス停徒歩1分
奈良県宇陀市室生1702