今回は奈良県の近鉄南大阪線のぉ〰️
当麻寺駅に照れ
って事で…目的地はもちろん當麻寺へ照れ

當麻寺と当麻寺びっくり
お寺の中にある表記はどれも「當麻寺」で、住所も葛城市當麻えー

しかぁ〰️しプンプン
近鉄の駅名や新聞記事は「当麻寺」となっていて相違があるのはなぜかキョロキョロ

どっちが正しいのぉ〰️ガーン

答えは簡単とかニヤリ
どっちも正しいんやって爆笑
「當」は「当」の旧漢字
「當麻」=「当麻」って事えー

お寺は当然旧漢字を正式表記としていますし、地名も新漢字ができる前からなので「當麻」のままプンプン

じゃあ全部「當麻寺」でいいじゃないかとなるのですが、駅名や一般の方々が読む新聞には使用できる漢字に制限があるんやってニヤリ

よって「当麻寺」になるんだとかウインク


當麻寺   【たいまでら】
創建は白鳳時代に聖徳太子の弟・「麻呂子王」が創建した大阪河内の寺院を当麻の地に移されたとのことで、その証かどうかは分かりませんが当麻寺に隣接して「麻呂子山」が存在いたします。

それと異説では、天平時代に豪族「当麻氏」の氏寺として創建されたということです。


東大門
東大門は三間一戸の楼門照れ
創建当初はどの門が「正門」だったのか…キョロキョロ

通常なら南大門ですが南大門は建立されなかったようでどこからの出入りだったのか、ミステリーな話とかびっくり

中世には信仰形態が西方極楽浄土におわします「阿弥陀如来」の崇拝と変わりましたので正門が東大門となりました照れ

東大門から本堂へはまっすぐ西にあるのではなく少し北よりなのはまたまたミステリーかもねニヤリ


手水
屋根は無くて〰️
龍の角も髭もなくて〰️ガーン
見た目…龍じゃなく他の生き物やぁガーン


本堂(曼荼羅堂)国宝
創建当時の本堂は天平時代の住宅建築古材を転用しての建築だったということプンプン

当麻氏の没落で廃寺となるのを避けるための知恵として、仏像ではないですが「當麻曼陀羅」を本尊として安置して、浄土信仰のお寺として庶民に支持されることで寺の維持を考えたのかなえー
よって、当麻寺の中心仏堂は金堂から本堂に変わりましたプンプン

本堂は當麻曼陀羅を祀ってあることから「曼陀羅堂」とも呼ばれます照れ

当麻寺は当初「礼堂」がなく、当初の庇に増設の孫庇が加えたものを礼堂(外陣)とする本堂形式へと永暦二年(1161)に改変され現在の姿となったとかえー

孫庇の増設により本堂に変わっていく貴重な遺構なんやってびっくり

正堂が本堂に変わっていきますが本堂とは金堂、講堂の機能を併せ持ったものでありますから必然的に両建物より大きな建物となりますプンプン

爾後の本堂はますます礼堂を広く取る奥行の深い建物となっていきました爆笑

野屋根を採用した割には屋根勾配は緩やかなものとなってるのが特徴なんなぁウインク

本尊である「当麻曼荼羅」プンプン
曼荼羅は西方極楽浄土の様子を描いて視覚化したものえー
曼荼羅にまつわる伝説での「中将姫」が蓮糸で織ったという「蓮糸曼陀羅」は今は無く、現在、本堂厨子に安置された曼荼羅は、「絹糸の綴織
(つづれおり)曼荼羅(国宝)」を文亀年間に模写した絵画の「文亀曼陀羅」とかびっくり

国宝の曼荼羅は別の場所で保管なんやってキョロキョロ

「厨子」「須弥壇」と共に国宝指定されてますぅ〰️チュー
厨子は桧製、六角形で高さはありますが曼荼羅をかけるためだけですので奥行は浅いプンプン
厨子は金銀泥で多種多様な文様を描かれており、須弥壇には黒漆地に朱で描かれた木目模様の上に多彩な螺鈿細工が施されています照れ

本堂の前身堂が天平時代創建でそれより余り遅れずに当麻曼荼羅を安置されたとしましても当時は金堂が中心的な堂宇で本堂はまだ従属的な堂宇だったことみたいニヤリ

それが当麻氏の衰退と共に本堂を拡張して氏寺から当麻曼荼羅を礼拝する浄土信仰の寺院に変わっていったんやね照れ


賓頭盧さまキョロキョロ
この顔は…びっくり
ビートたけしさんの鬼瓦 権造じゃないかぁ〰️爆笑


鐘楼
鐘楼には現存最古の「梵鐘」が吊り下げられてるんやってびっくり


講堂
治承4年(1180)の兵火によって焼亡し…ガーン
現在の建物は野垂木下端(のたるきしたば)の墨書により、鎌倉時代末期の乾元2年(1303)4月22日に大工・藤原助友によって建立されたんですプンプン

正背面に石階を設け、正面中央5間、背面中央1間、側面前方1間の板扉の開きとし、その他は全て白壁造としています照れ

昭和10~11年(1935~36)の解体修理によって、前身堂も現在よりやや大きめの七間堂で、金堂と同じく流板葺であったことがわかっているんやってびっくり
旧規を踏襲した鎌倉時代の和様建築なんやでぇえー


金堂
曼荼羅堂が本堂とされるまでは金堂が一山の本堂プンプン

正背面3間、両側面2間を板扉として、残りは全部壁構造となっている点が珍しいとかびっくり

昭和8年(1933)から10年にかけての解体修理で、当初は瓦葺ではなく、流板葺という長い厚板を並べ合せた板葺屋根であったことが判明プンプン

建立年代は治承4年(1180)兵火後の寿永3年(1184)再建説と、13世紀後半再建説があるみたいキョロキョロ


石灯籠
高さは2.17mプンプン
二上山で産出した凝灰岩で造られてるんやってえー
凝灰岩で造られているため風化が著しいですが…キョロキョロ
重要文化財なんやでぇニヤリ

現存最古の遺構で貴重なものとかびっくり

金堂は鎌倉時代の再建ですが燈籠は当初の金堂と同じ天平時代に建てられたものなんやね照れ

火袋は木製に代わっておりますが素朴な感じがする燈籠です照れ


東塔
天平時代の創建照れ
写真撮影が出来るところは東側のみでしかも樹木の遮蔽が少ない僅かな空間に限られるんよショボーン

通常、初重から三重目まですべての面の柱間を、三つの方三間といたしますがこの東塔は構造上大変不利であるのに、二重、三重ともに方二間で特異な構造とかびっくり

「薬師寺三重塔」「法起寺三重塔」は三重目だけが方二間とかえー

東塔の四面は中の間は扉口、脇間は連子窓でその窓の下は白壁えー
通常、塔の四面は同形式で造られますのでどの面でも正面にもってこれますニヤリ
ですから、正面は仏像、須弥壇の状況で決まることになるんよおねがい
東塔の連子窓は後世の付加なんやって爆笑


西塔
25.2mで東塔より0.8m高くなってますニヤリ
平安時代の創建ですが、東塔創建から百年も経っているので再建説もキョロキョロ

日本の場合、仏舎利は塔の地下に安置されるのに、後に奉安された舎利は心柱の頂上に安置されてるんだとかえー

塔の地下に安置するには差しさわりのある何かがありましたため避けたのか…キョロキョロ
それとなぜか、舎利が奉安される塔は白鳳時代なら東塔で、天平時代なら西塔にびっくり

本来は西塔が東塔より先か同時に建立されるべきなのに不思議なことやねえー

二重、三重ともに初重と同じ中の間が扉で両脇は白壁照れ
東塔には後補の連子窓がありますが西塔にはないんですキョロキョロ


藤原豊成(ふじわらのとよなり)の娘である中将姫照れ

中将姫は、奈良の当麻寺に伝わる『当麻曼荼羅』を織ったとされる日本の伝説上の人物です照れ

伝説によると、当麻曼荼羅は奈良時代の右大臣である藤原豊成の娘である中将姫が、當麻寺へ出家し、蓮糸を用いて浄土曼荼羅図を一晩で織ったものであると言われてますびっくり

勿論、これは伝説の話プンプン
実際は蓮の繊維ではなく絹糸の綴織(つづれおり)で、唐からの伝来品であると考えられているんやってえー

曼荼羅と言うが密教の曼荼羅とは関係は無く、浄土三部経の一つである観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)の教えに基いた浄土変相図とかえー

当時オリジナルの当麻曼荼羅(国宝)は痛みが非常に激しく、現在曼荼羅堂に掲げられているものは室町時代の複製品(重要文化財)みたいニヤリ


大師堂
高野山から移された等身大の弘法大師を祀るお堂で、周囲には當麻寺歴代別当・中之坊法印・西南院住職などの供養塔がありましたキョロキョロ

大師堂の右前方に納骨堂があり、本骨(のど仏)を納めることができるんやっておねがい


奈良県葛城市當麻1263


當麻寺に行く前にモーニングやぁ〰️爆笑
場所は當麻寺と当麻寺駅の間の国道165号線を西へ少し行った所照れ
もんちっち3さんです爆笑
フルーツパラーなんやでぇ爆笑


モーニングサービスはお好きなトーストを選ぶと、ミニフルーツジュースとサラダ、ミニフルーツセットにヨーグルト、そしてドリンクという豪華な内容ラブ

それにゆで卵がニヤリ
ゆで卵はなくなり次第終了とのことみたいキョロキョロ

モーニングメニュー
トースト 550円
さつまいもトースト 660円
小倉トースト 660円
チーズトースト 660円
シナモントースト 660円
ホットドッグ 715円
パンケーキ 715円

小倉トーストにしたぁ〰️爆笑
アンコとホイップクリーム…最高の組合わせやぁ爆笑

モンチッチがついた柑橘ドレッシングというのが出てきたぁびっくり
ここのオリジナルみたいニヤリ
これをサラダにかけると…爽やかな酸味照れ
サラダはミニトマト付、フルーツはキウイ、バナナ、オレンジにパイン照れ

カラダが目覚める感じ、朝のフルーツはカラダに良いといいますからねウインク

ミニフルーツジュースはリンゴやったぁ〰️爆笑

当麻寺駅から602m
奈良県葛城市染野116-2