満願寺からバスで川西能勢口駅まで戻り能勢電鉄に飛び乗り多田駅まで照れ
そこから約25分くらい歩いて多田神社に爆笑

多田神社   【ただじんじゃ】
970年に創建された神社で、清和源氏の開祖・源満仲を祀っています。

源満仲は清和天皇のひ孫にあたり、平安貴族でした。

源満仲が摂津国の国司だった時、大阪の住吉神社で「北に矢を打ちなさい。

落ちた所があなたの住む場所」という神託を受けて、矢を放ったら、多田神社の近くに矢が落ちた伝説があります。

放った矢は、大きな沼にいた9頭を持った大蛇に刺さり、死に物狂いで暴れていました。そして蛇が暴れた事によって、沼の堰が決壊し、水が流れた後、肥沃な土地になり、多くの田ができた事から、多田の名前がつけられました。

源満仲は、そのまま多田の地に住みつきました。そして多田院を創建しました。
(当時は天台宗のお寺のようでした)
そして源満仲が亡くなると、多田院に葬られました。この経緯から、清和源氏の霊廟になっています。

ただ、明治4年の神仏分離により、神社になりましたが、この周辺の地名が「多田院」なので、当時の面影が残っています。


南大門
多田院のもとの仁王門であり、両脇に仁王像があったんだとかびっくり

明治4年神仏分離の折、仁王像は満願寺山門に移転され、安置されていました照れ

そう
この前に行った満願寺にあったなぁニヤリ


随神門
1577年(天正5年)現在の伊丹市に有る「有岡城の戦い」で焼失…ガーン
徳川四代将軍 家綱により再建プンプン
シンプルな八脚門で、左右の門の中に豊岩間戸尊、櫛岩間戸尊の二体の随神像が安置されています照れ


手水舎
最近はコロナの影響で手水も変わってきたよね…キョロキョロ
何気に…龍が寂しそう…ショボーン


拝殿
徳川四代将軍家綱公により再興〰️チュー
桁行7間、梁間3間の大規模な入母屋造、檜皮葺屋根の構造物やぁ爆笑


御本殿
こちらも徳川四代将軍 家綱により、1667年(寛文7年)に再建照れ

御祭神
第五十六代清和天皇の曾孫贈正一位鎮守府プンプン

将軍源満仲公をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家の五公をお祀りしています照れ

伝説によるとえー
摂津守の任に就いた源満仲公が摂津国の一の宮である住吉大社に参拝した時、夢枕に住吉明神が現われ「白羽の鏑矢を放って矢が着いた処が汝の住む処なり」との御神託を受け、矢が立っていた多田の地に本拠を構える事となったと言われていますニヤリ

猪名川の水利に優れ、四方を山に囲まれた天然の要害ともいうべき場所でありながら、京都への距離も騎乗の旅で一日ほどという地の利に恵まれた多田郷は、源氏一族が来たるべき武士の世に向けて力を蓄えるには大変優れた土地であったとかキョロキョロ
また、奈良時代から銅や銀を産出していた多田銀銅山があった事も財力を蓄えるのに非常に有利に働いたと考えられるんやってえー

969(安和2)年に起こった「安和の変」を契機に藤原摂関家との関係を強め、源氏発展の基礎を築いた源満仲公は、970(天禄元)年に本拠地・多田に寺院を創建しますプンプン

4男・源賢僧都が比叡山延暦寺で修行をしていた縁もあり、天台宗寺院として建立されたこの寺は源満仲公の死後、廟所や遺像を祀る御影堂など多くの堂宇が建てられましたプンプン

この寺院は「鷹尾山法華三昧寺」と名付けられ、のちに「多田院」「多田大権現社」と呼ばれるようになりました照れ

源氏が政権を握った鎌倉時代には、幕府より「清和源氏発祥地」として重要視され、1273(文永10)年には鎌倉幕府の支援を受けて忍性上人が多田院造営に取り組み、この時期に真言宗寺院へと生まれ変わりえー

また、同じ源氏の嫡流であった足利尊氏公も厚い崇敬を寄せて社領の寄進などを行っていますニヤリ

1358(延文3)年足利尊氏公が亡くなった際には、遺骨が納められ、以後代々の将軍の廟所が多田院に定められるようになりましたえー

そんな多田院も、戦国時代には兵火に巻き込まれて大きなダメージを受けますガーン

1577(天正5)年、織田信長公の甥である織田信澄公の手によって攻められ、寺域全体が焼き払われて荒廃の憂き目に遭ってしまいますえーん

荒廃した多田院が再建されたのは江戸時代、第4代将軍徳川家綱公の代になってからえー

清和源氏の流れを汲んだ新田氏の末裔という血統を主張していた徳川家にとって、源氏の象徴である多田院の再建は政治的にも不可欠な事業だったとキョロキョロ

1665(寛文5)年に社領500石の寄進を行ったのち、1667(寛文7)年には日光東照宮を建立した匠たちによって境内の大規模な再建が行われましたプンプン

このとき建てられた伽藍の壮観さは、「西日光」と称されるほどとかびっくり

多田院には「多田院鳴動」と呼ばれる不思議な現象が度々起きたことでも知られてるんだとかキョロキョロ

天下の大事が起きる際には、本殿奥の源満仲公の廟所がしきりに鳴動してその急を前もって告げたといわれていますびっくり

すでに源頼朝公の時代には多田院鳴動が起こっていたといわれ、文書でも室町時代の1415(応永22)年を皮切りに、1507(永正4)年までの8回にわたる鳴動が記録されていますえー
各地でも吉事・凶事の際には鎮守の森が鳴動してそれを知らせたという伝説が残されていますが、多田院の場合は良い出来事の前兆ばかりだったという点が特徴的爆笑

地元の川西市では、平成14年度から「清和源氏発祥の地・川西市」をアピールしてのまちおこしに取り組んでるんですニヤリ

毎年4月第2日曜日には、総勢800名が歴代の源氏武将に扮して練り歩く「源氏まつり」が春季例大祭の神賑行事として盛大に行われています照れ

源頼光公の「大江山鬼退治伝説」による鬼行列なども登場するなど源氏武将オールスター勢揃い、といったお祭なんやぁ爆笑

もちろん、巴御前や静御前などの美女も行列に花を添えていますが、これらの役は人気が高く希望者が多いので公募で選んでいるそうですよ照れ

境内では奉納射会を始め、お茶席が設けられたりさまざまな市が立ったりして賑わいを見せるんですおねがい

御利益
勝運祈願  交通安全祈願  合格祈願  家内安全祈願  病気平癒祈願  厄除け祈願  安産祈願  会社繁栄祈願


神馬舎
東京都の後藤光行、綿引司郎両氏より、昭和42年より一年六ヶ月の歳月を費やして作成された神馬が納められており、屋舎は元内務省神社局松本芳夫氏の設計・監理のもと建てられたんです照れ


ここのお人形のおみくじは神馬ですラブ
めちゃ可愛いでしょ〰️爆笑


中にはお宝が…ニヤリ



鬼首洗池
御祭神源頼光公が大江山の鬼退治をした際、この池で鬼の首領、酒呑童子の首を洗ったと伝えられてるんですびっくり

夏には、日本固有種で地域によっては天然記念物にも指定されてる『モリアオガエル(森青蛙)』の産卵がみられるんやって照れ


田尻稲荷神社
旧多田荘の田尻より移築され、社殿は、一間社流造で全面に彩色が施してありますね照れ


厳島神社
市杵嶋姫命を祀っています照れ
旧多田院では、「弁財天女」とも呼ばれ古くより厚い信仰を集めていますよウインク

一間社造りの社殿は室町後期に再建されたものなんやって照れ


六所宮
伊勢、賀茂、稲荷、春日、住吉、熊野の神々を祀っています照れ
勢揃いやね爆笑

旧多田院の鎮守社として、また多田荘72ケ村の総社として鎌倉期に創建された神社プンプン
現在の社殿は室町後期に再建された三間社造りで、建築様式、組物、蓑束、懸魚等の細部手法は非常に貴重なんやって照れ


兵庫県川西市多田院多田所町1-1


 阪急川西能勢口駅前にあるちから餅さん

麺と丼が主な食堂で店頭ではおはぎ・赤飯・お団子・お饅頭などを販売してます爆笑


一目惚れした
苺大福 180円
抹茶クリーム大福 130円を購入〰️チュー

苺大福は中じゃなく大福を半分に切って乗っけてますびっくり
苺が大きくて…甘酸っぱくて…白餡と最高の組み合わせやぁ爆笑

抹茶クリーム大福はトロントロンのクリームが溢れ出るくらい入ってます〰️チュー
めちゃ美味しかった照れ

川西能勢口駅から146m
兵庫県川西市栄町25-1 アステ川西 1F