名神高速道路 京都南ICから国道1号線を南に少し行った所に城南宮に行きました。おねがい

城南宮【じょうなんぐう】
都の守護と国の安泰を願って、平安遷都の際に京都の南に創建されてから1200年。城南宮は、引越・工事・家相の心配を除く「方除(ほうよけ)の大社」と仰がれています。家庭円満や厄除や安全祈願、また車のお祓いに全国からお見えです。また古くより、住まいを清める御砂や方角の災いを除く方除御札を城南宮で授かる習慣があります。そして曲水の宴が行われる神苑は、しだれ梅、椿、桜、藤、躑躅、青もみじ、秋の七草や紅葉に彩られ安らぎの庭になっています。

東の鳥居
城南宮の東入り口に当たる石の鳥居に掲げられている扁額の字は、「有栖川流書道」を大成された有栖川宮幟仁(たかひと)親王の染筆です。
 鳥居の柱の刻銘から文久元年(1861年)9月に兵庫津の北風氏がこの鳥居を寄附したことが知られます。北風家は司馬遼太郎の『菜の花の沖』にも登場する兵庫の廻船問屋で、城南宮の氏子である竹田村の長谷川家から貞忠が養子に入って家を継いでおり、その御礼に氏神の城南宮に鳥居を寄進したと考えられてるとの事です
 おねがい

菊水若水【手洗舎】
城南宮の「菊水若水」の水は霊験あらたかで、江戸時代の初め、霊元法皇が「菊水若水」を飲まれると痛みが治った、という記録があり、お百度を踏んで祈願して水を持ち帰る習慣も伝わります。また、東大寺のお水取りの香水は、若狭の遠敷川からこの「菊水若水」の下を通り、二月堂の若狭井に達すると伝えられています。伏見の名水として知られてるとの事ですびっくり
ここから城南宮の本殿に入る鳥居です。
ワクワクしますおねがい
鳥居を抜けてすぐに茅の輪がありました。照れ
茅の輪くぐりと夏越の祓
半年間の罪や穢れを移した人形(ひとかた)を「禊(みそぎ)の小川」に流して心身を清め、無病息災を祈願します。プンプン

拝殿です。
あれ?
後に見えるのは本殿??
びっくり
うそぉ~
なんじゃ~本殿が見えん…ガーン
本殿
本殿・前殿・向拝(こうはい)・翼廊(よくろう)からなる素木(しらき)造りの社殿は、城南宮独自の優美な佇(たたずまい)です。屋根の緩やかな勾配や軒端(のきば)の反り、棟の両端の獅子口と呼ばれる瓦、斗栱(ときょう)、懸魚(げぎょ)、蟇股(かえるまた)、そして餝金具に至るまで、平安時代後期の建築様式で昭和53年に造営されました。
平成の御遷宮 
    ~御本殿御造営40年御屋根葺替 並 諸建物改修工事のお知らせ~

上記の看板があり
平安京が定められるに当たって、国土の安泰と都の守護を願って創建された城南宮は方除の大社と仰がれて来ました。去る昭和53年に氏子・崇敬者の皆様のお力添えを得、御本殿・前殿・翼廊が一体となった社殿が、平安時代の建築様式を採り入れて優美に建てられましたこと、洵に有り難く存じます。爾来、交通安全祈祷殿や神楽殿、斎館やむすび殿を造営し、お参りの皆様が御神徳に深く与られるよう境内を整えて参りました。
 しかしながら御本殿再建より40年近くが経ち、檜皮葺の屋根は経年による劣化のみならず、昨今、雨の降り方が激しくなったためか所々大きく傷み、集中豪雨の度に雨漏りが心配される状況です。また阪神淡路大震災などのために歪みが生じている所もあります。そこで御造営40年にあたる平成30年秋を目途に御本殿を修復して御屋根を葺き替え、御神恩に感謝し大神様を安んじ申し上げ、引き続き下記の通り境内の諸建物を改修し、輝かしい御神威を仰ぎたいと存じます。

第1期工事、第2期工事と平成33年竣工予定との事です。
なんですとぉ~えーん

神楽殿
平安時代の貴族の邸宅である寝殿造りを模した御殿で平成8年に建てられました。桧の素木(しらき)造りで、化粧屋根裏といって天井を設けず屋根の裏の垂木(たるき)を見せる伝統的な工法で建築されています。予約制で会社の発展祈願のご祈祷や結婚式に用いられます。また、表の舞台では、折々に巫女神楽が奉納され、自由に拝観できます。照れ

末社
本殿の改修工事で足場が組まれているんで
なんだかなぁ~ショボーンって感じです。

西の鳥居
西の鳥居は氏子の寄進によって文久元年(1861年)に建てられ、扁額の字は関白九条尚忠の書です。
 慶応4年(1868年)正月3日の鳥羽伏見の戦いの際は、この西の鳥居と鳥羽街道を結ぶ参道に薩摩の軍勢が4門の大砲を据え、旧幕府軍を迎え撃ったのです。
 「城南離宮」は、白河上皇や鳥羽上皇が院政の拠点として営んだ離宮(鳥羽殿、鳥羽離宮とも言う。)の名称で、江戸時代にはこれを城南宮の社号のように用いました。
おねがい
東の鳥居と西の鳥居の参道にある摂社ですおねがい
三照宮
ご祭神 天照大御神
 城南宮の朱の鳥居の南側、石段を登った丘の上に三照宮はお鎮まりになっています。天照大御神をお祀りし、ご神紋の「三光の紋」は、桧皮葺(ひわだぶき)の屋根の棟にも見ることが出来、「三光社」と記した江戸時代の境内図も伝わります。城南宮の氏子地域は、伏見区内の中島・下鳥羽・竹田、南区内の塔ノ森・上鳥羽まで及びますが、三照宮は上鳥羽の人々の信仰が厚く、石の鳥居や石燈籠が寄進されています。
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真幡寸神社
ご祭神 真幡寸大神、応神天皇
 『日本紀略』弘仁7年(816年)7月21日条に「真幡寸神、官社の列に預る」と、また『延喜式』の神名帳にも記され、霊験あらたかで朝廷からお供え物があったことが知られます。ご神紋が徳川家と同じ「三葉葵」であることから、江戸幕府より照会があり、由緒を奉行所に回答した文書が伝わります。真幡寸大神と応神天皇をお祀りし、竹田地区の氏子の信仰が厚く、石の社号標や石灯籠が寄進されています。
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京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7