ミレニアム 終戦記念日
─この記事は ジオシティーズ″つばさワールド″ から転載したものです─
| 被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ |
20世紀最後の終戦記念日。
局地的な戦闘はまだ8月末まで続き、国際法に基づく終戦は9月だが、日本政府の方針として14日に連合国へ降伏を伝え、55年前の今日、日本は敗戦を迎えた。
敗戦という結果において、はたして日本は平和を手に入れたのだろうか。
治安の安定、国民主権化、高度経済成長、オイルショック、国民皆中流化、バブル景気。
この55年で日本は大きく変わった。
それによるものかどうか、犯罪の高度化と低年齢化を促進させた。
ぼくのある友人は言う。
「平和と戦争は対義語ではない。平和の反対は混乱であり、戦争の反対は安定である。」
なるほど、今の日本は混乱状態にはないし、安定した外交を行っている。
どんなに犯罪が増えても、やはり日本は平和なのだろうか。
「戦時混乱下にある国民の犯罪の種類と、平和国家に住む人間の犯罪の種類は、根本的に顕著に違う」
犯罪は人間がいる限りなくならないと言う事だろうか。
ならば人間が行う最大の犯罪である「戦争」も、永久になくなる事はありえないのだろう…。
今はただ、平和憲法を掲げる日本が、自ら過ちかも知れないことを繰り返し犯さないよう、切に願うばかりである。
ぼくは未来における戦争は完全拒否するが、過去に起きた戦争に関しては、肯定も否定もしない。
日本の起こした過ちとは、外交に戦争といったカードを切ったことではない。
問題なのは戦争という外交カードを利用したことにある。
しかし当時の世界観や価値観を歴史的に鑑みると、戦争という形は、日本として避けられなかったかなぁとも思うところがあり。
現代でも、軍事力が一定のレベルにないと、外交として平和的会談のテーブルに、相手 諸外国は着いてくれないのも、悲しいことだが事実である。
話し合いによる解決 ── 国家間の交渉が″話し合えば分かり合える″と、世界中の誰もがそう思っているものの、信じているのは日本人だけでもある。
核兵器廃絶運動だけが反戦活動ではない。
55年前、日本の未来のために犠牲となった方々と、その命で礎となった方々へ「黙祷」。
2000/8/15(Syusenkinen-Bi)
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☆被爆2世が語る平和記念日と世界史☆
May the world be filled with peace and happiness.
(世界が平和と幸福で満たされますように)
長崎 原爆忌 2000
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今日は長崎の平和式典を、NHKで見ていた。
被爆者や遺族の方など、年々高齢化している今、その式典の設備が問題視されているが、長崎では参列席全てを覆う、三角テントを張っていた。
あれは広島でもできないものだろうか…。
さて、そんな長崎の原爆記念日の今日、甲子園では長崎:富山戦が行われた。
長崎代表は「日大高長崎」、富山代表は「富山商業」。
個人的な思い入れでは、広島長崎県人会さんとの付き合いもあるし、8月9日という事もあって、長崎に勝って欲しいと思ってはいたものの、試合は長崎の一方的な展開。
終盤で富山にチャンスが訪れた時には、何とか点が取れないものかと、どうにもならない作戦を思案してしまう。
勝負には、勝者がいる限り、必ず敗者が存在する。
厳しい世界なのは判ってはいるものの、そのせつなさに、富商の球児たちを見ながら泣いてしまった。
ちなみに今日の試合で、富商と同じように1回戦敗退してしまった高校の中で、岩手代表の「専大北上」のある球児が印象に残った。
畠田和洋選手3年生。
彼は2年前に甲子園の土を踏んでいる。
しかし当時1年生の彼は、彼自身のエラーでチームを敗退させてしまった。
今年はそのリベンジでもある。
試合は結果的に負けてしまったが、何とか自分が突破口となるよう、執念のバッティングを見せる。
内角高めの球を、ムリせずレフトへ打ち返したり、外角低めに決まるフォークをライトへ流したり、そのバッティングセンスと技術は、目を引く魅力があった。
そう、まるでイチローの高校時代を見ているかのような、美しき天性と、絶対に勝つんだという執念。
3年生の彼には、来年の春も夏ももう存在しない。
がしかし、できる事ならこのまま野球を続けて欲しい。
大学野球へ行くか、社会人野球へ行くか…。
できる事なら、プロで彼の姿を見てみたい!!
そう思うのは、ただの一視聴者の勝手なワガママなのは承知してはいるのだが…。
2000/8/9(Wed)
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広島平和宣言2000 / 1947年第1回平和宣言併記
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| 被爆2世が語る平和記念日と世界史シリーズ |
広島平和宣言とは。
広島市が世界最初の核攻撃による惨禍を経験してから、少しずつ復興の始まった2年目の1947(昭和22)年に、永遠の平和を確立しようという広島市民の願いを全世界の人々に伝え、世界的行事の一つにまで発展させたいと念願して、平和祭が行われることになりました。
平和祭は、同年8月5日から3日間催されましたが、6日には後に平和記念公園となる広場で式典が開催されました。
この中で初めての平和宣言が浜井信三市長によって読み上げられ、戦争を否定するとともに、平和を求める広島市民の心の底からの叫びが、一つの形となって表れました。
以降、平和宣言は、広島市長が毎年8月6日の平和記念式典において読み上げられ、その表現や内容には、その時代が色濃く反映されています。
・広島平和宣言 2000
・第1回平和宣言1947
・マッカーサーメッセージ要約文
・首相挨拶要約文
・歴史的背景解説
-広島平和宣言 2000-
私たちは今日、20世紀最後の8月6日を迎えました。
一発の原子爆弾が作り出した地獄の日から55年、私たちは、絶望の淵から甦った被爆者と共に悲嘆にくれ、慰め励まし、怒り祈り、学び癒し、そして訴え行動してきました。
その結果、広島平和記念都市建設法の制定、原爆死没者慰霊碑の建立、被爆者援護法の制定、南半球を中心とした非核兵器地帯の設定、国際司法裁判所による核兵器使用の違法性判断、包括的核実験禁止条約の締結、原爆ドームの世界遺産化、核保有国による「核兵器全廃に向けた明確な約束」等、多くの成果を挙げることができました。
特に、長崎以降、核兵器が実戦において使われなかったことは全人類的成果です。
しかし、今世紀中に核兵器の全廃をという私たちの願いは、残念ながら実現に至りませんでした。
21世紀には、何としてもこの悲願を達成しなくてはなりません。
そのためにも今一度、より大きな文脈で被爆体験の意味を整理し直し、その表現手段を確立し、人類全体の遺産として継承していかなくてはなりません。
世界遺産として認められた原爆ドーム、被爆に耐えた旧日本銀行広島支店や世界中の子どもたちから寄せられる折鶴の保存や活用はそのためにも重要です。
また、「核兵器は違法である」という大きな成果を核兵器廃絶につなげるため、世界平和連帯都市市長会議の力を結集する必要もあります。
そして人類の誰もが自らの国家や民族の戦争責任を問い、自ら憎しみや暴力の連鎖を断つことで「和解」への道を拓くよう、そして一日も早く人類が核兵器を全廃するよう、世界に訴え続けたいと考えています。
コンピュータはもちろん鉛筆も、いや文字さえなかった太古から今日まで、20世紀が他のどの時代とも違うのは、人類の生存そのものを脅かす具体的な危険を科学技術の力によって創り出してしまったからです。
その一つが核兵器であり、もう一つが地球環境の破壊であることは、言うまでもありません。
そのどちらも私たち人類が自ら創り出した問題です。
その解決も当然、私たち自身の手で行わなくてはなりません。
核兵器の廃絶を世界に向って呼び掛けてきた広島は、さらに、科学技術を真に「人間的目的」のために活用するモデル都市として新たな出発をしたいと思います。
広島そのものが「人間的目的」の具現化であるような未来を、広島の存在そのものが「平和」であることの実質を示す21世紀を創りたいと考えています。
それは人間の存在そのものを危機に陥れた科学技術と、人類との「和解」でもあります。
朝鮮半島における南北首脳会談で両国の首脳が劇的に示してくれたのは、人間的な「和解」の姿です。
私たちは、20世紀の初め日米友好の象徴として交換されたサクラとハナミズキの故事に倣い、日米市民の協力の下、広島にすべての「和解」の象徴としてハナミズキの並木を作りたいと考えています。
国際的な場面においても広島は、対立や敵対関係を超える「和解」を創り出す、調停役としての役割が果せる都市に成長したいと思います。
私たちは改めて、日本国政府が、被爆者の果してきた重要な役割を正当に評価し援護策を更に充実することを求めます。
その上で、核兵器廃絶のための強い意志を持ち、かつ憲法の前文に則って、広島と共に世界に「和解」を広める役割を果すよう、強く要請します。
20世紀最後の8月6日、私たちは、人類の来し方行く末に思いを馳せつつ広島に集い、一本の鉛筆があれば、何よりもまず「人間の命」と書き「核兵器廃絶」と書き続ける決意であることをここに宣言し、すべての原爆犠牲者の御霊に衷心より哀悼の誠を捧げます。
2000(平成12)年8月6日
広島市長 秋葉忠利
-1947年・第1回 平和宣言-
本日、歴史的な原子爆弾投下2周年の記念日を迎え、われら広島市民は、いまこの広場に於て厳粛に平和祭の式典をあげ、われら市民の熱烈なる平和愛好の信念をひれきし、もって平和確立への決意を新たにしようと思う。
昭和20年8月6日は広島市民にとり、まことに忘れることのできない日であった。
この朝投下された世界最初の原子爆弾によって、わが広島市は一瞬にして潰滅に帰し、十数万の同胞はその尊き生命を失い、広島は暗黒の死の都と化した。
しかしながらこれが戦争の継続を断念させ、不幸な戦を終結に導く原因となったことは不幸中の幸いであった。
この意味に於て8月6日は世界平和を招来せしめる機縁を作ったものとして、世界人類に記憶されなければならない。
われらがこの日を記念して、無限の苦悩を抱きつつ厳粛な平和祭を執行しようとするのは、このためである。
けだし戦争の惨苦と罪悪とを最も深く体験し自覚する者のみが、苦悩の極致として戦争を根本的に否定し、最も熱烈に平和を希求するものであるから。
又この恐るべき兵器は、恒久平和の必然性と真実性を確認せしめる「思想革命」を招来せしめた。
すなわちこれによって原子力をもって争う世界戦争は、人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を、世界の人々に明白に認識せしめたからである。
これこそ絶対平和の創造であり、新らしい人生と世界の誕生を物語るものでなくてはならない。
われわれは、何か大事にあった場合深い反省と熟慮を加えることによって、ここから新らしい真理と道を発見し、新しい生活を営むことを知っている。
しかりとすれば今われわれが為すべきことは、全身全霊をあげて平和への道を邁進し、もって新らしい文明へのさきがけとなることでなければならない。
この地上より戦争の恐怖と罪悪とを抹殺して、真実の平和を確立しよう。
永遠に戦争を放棄して世界平和の理想を地上に建設しよう。
ここに平和の塔の下、われらはかくの如く平和を宣言する。
1947(昭和22)年8月6日
広島平和祭協会長・広島市長 浜井信三
-1947年 マッカーサーメッセージ要約文-
2年前、しだいに高まりつつある暴虐の暗影が世界を覆っていた。
人々も民族も各大陸も、戦いの決着をつけよ うと必死になってもがいていた。
そのとき 広島の上に今までにない強力な武器が投下された。
かくて戦争が、それが致命的であり破壊的である点において、そしてまた戦争が人間の理性や論理、目的、理想などに対する挑戦である点において、新たな意味を持つことになった。
あの運命の日のもろもろの苦悩は、すべての民族のすべての人々に対する警告として役立つ。
それは戦争の破壊性を助長するために、自然力を利用することはますます進歩して、ついには人類を絶滅し、現代世界の物質的構造物を破壊するような手段が、手近に与えられるまで発達するだろうという警告である。
この教訓が等閑に付せられざるよう、神よ、みそなわせたまえ。
1947(昭和22)年8月6日
連合軍最高司令官 ダグラス マッカーサー
*上記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。
-1947年・内閣総理大臣挨拶 要約文-
かつ て軍都として栄えた広島市が、わずか1個 の原爆によってベールを吹き飛ばし、かつ日本を平和へと導いた。
あの感慨深き回顧の数々、われわれ日本国民にとどまらず、 世界の人々にまでこよなき教訓となったと私は確信する
1947(昭和22)年8月6日
内閣総理大臣 片山 哲
-歴史的背景解説-
第1回 平和祭は広島の市会議員・県会議員以外も、GHQの関係者や連合軍の上官も参列して開催されており、その中での平和宣言と総理大臣のあいさつだった。
NHK広島中央放送局(JOFK)は、午前8時から30分間、式典の模様を実況放送したが、それは、そのままJOAK(東京)を通じてアメリカ合衆国へ中継された。
この放送は、日本の戦後初の国際放送となり、INS、CBSといったアメリカの放送局やユナイト、日映、時事などのニュース映画会社も、式典の模様を取材していた。
そして第1回 平和祭の開催は、海外で大きな反響を呼び、アメリカの臨時世界人民会議は、8月6日にアラモゴードでヒロシマ2周年の集会を開催した。
しかし日本国内ではその直後から、″原子爆弾″″原爆″″8月6日″″8月9日″のワードが、言論統制によって使用禁止用語に指定され、報道管制での禁止を似て被爆そのものが GHQによって隠匿された。
広島市内では″原爆〇〇″と通称で呼ばれていた物は、全て″平和〇〇″と言い改めるよう、一般市民も強要された。
現在、平和公園内にある″平和の鐘″等も接置当初は″慰霊の鐘″と言う名称だったが、GHQの圧力によって名称変更が行われた。
″原爆ドーム″も″平和記念ドーム″と改称させられたが、正式に保存建物に指定されたのは日本の独立国として主権回復後であり、保存にあたって″原爆ドーム″の名称を公式名称とした。
数ある俗称として存在した″原爆〇〇″の名称の施設の中で、唯一残った名称が原爆ドームであり、広島市民の永遠の悲願としての核兵器廃絶の象徴であり続ける。
↑これのどこを見て平和記念ドームと呼べと言うのか↑
2000/8/7(Mon)
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広島 原爆忌 2000
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朝5時半出勤。
警備本部は2つに分断され、規制を統括する警備本部と、園内保安を統括する警備本部が設置される。
平和式典に直接携わる部門は、20年以上に渡り独占体制。
だからどちらの警備本部に対しても、1社のスタッフがが任務にあたるので、普通の大イベントのような警備会社間の打ち合わせは存在しない。
あるのは広島市そして広島県警との協議だけである。
さて、今日は本番ながら一隊員なので気楽にしていたら、立哨班の人事はぼくとSZ君で管理する事になった。
各厳重体制ポイントに配備されている隊員の休憩を回し、トラブルが発生したら速攻現場に駆けつけるのが自分らの任務だ。
極力何があっても即対応できるように、ぼくとSZ君は常に一緒にいるように循環を組む。
すなわち、何かあったら、体制が手薄にならないように、どちらかが即行動にでられるようにと、バラけずに2人でペアを組む。
さまざまな事態や懸案は、昨日とほとんど同じ具合で、ただ一般の観光客が莫大多いのが相違点か…。
式典では、森総理を始め秋葉市長、宮沢県知事と貴賓の追悼辞が述べられていく。
市長の平和宣言に続いて児童による平和宣誓がおこなわれ、遺族による献花が終わると、吹奏楽による平和の歌だ。
この間、掲揚台には国旗がたなびき、県警とうちの隊員が左右に配置され、緊張の下に厳戒態勢をとっている。
勿論,この2人が総理に1番近い位置にいる事になる。
9時10分。
少し予定は遅れたが、無事に式典は終了。
式典が終わってからの公園内の人出は、想像を絶するものだった。
何と言っても今年の今日は日曜日だ。
あちらこちらでトラブルが発生し、迷子も尋常なく発生する。
無事に夕方を迎えても、18時からは灯篭流しとキャンドルフェスタが行われる。
灯篭流しには、3億円のチェロリスト"馬 友友 = ヨーヨー•マ"さんが貴賓として、特設ステージにて演奏する。
「ゴルゴ13って、請負相場はいくらだっけ?」
「世界一のスナイパーよりも値が高いんだね」
「テロリストよりチェロリストかぁ」
「やっぱ、平和の式典だからね!」
などと雑談しながら、平和の鐘付近にて、ヨーヨーマさんの警護にあたる。
ヨーヨーマさんは中国系アメリカ人で、音楽家としてはフランス出身である、世界最高峰のチェロリスト。
本来、個別のイベントや、映画:放送などの撮影には、それぞれの警備会社が付き添っている。
が、公園内敷地の使用に関しては、占有にしても入出にしても、うちの会社側が全ての保安を司る。
実はこれが結構気を遣う。
例えば仮に、禁止事項に触れていたりした場合、通告は責任担当者の方へ直接伝えるのだが、そこと契約または入札されている警備会社の人にも、当然メンツがあるので、その立場を尊重しながらご協力を頂く。
その他にも、例えればキリがないほどの懸案がある。
だからこのヨーヨーマさんにしても、身辺警護は専属の警備会社の人が護衛しているものの、本番中に不慮な事態が勃発した時には、当社と県警の管轄になる。
責任や保証は、その警備会社が請け負う事になり、しかもその警備会社の園内出入の許可権は警備本部が持っている。
法律的に、けっこうムツカシイ関係なんだよね、他社の方たちとは…。
だけど、間接的に祭典に関ってくる警備会社の数は、わりと多い。
だ・か・ら・! 大変気を遣うんだけど…。
と、話はそれましたが、元にもどしましょう。
原爆ドームではキャンドルフェスタが催され、夕暮れに仄かに浮かぶ何百コのキャンドルが、原爆ドームを照らし、元安川に流れる灯篭とあいまって、平和の祭典のラストを奏でる。
秋葉市長がキャンドルフェスタに参加され、周辺警護の更に遠巻きを警戒警護する。
この時の秋葉市長には、ぼくが自ら付いた。
そして21時。
全ての祭事が終了し、片付けに市職員が走り回る。
21時半。
原爆の子の像、原爆ドーム、韓国人犠牲者慰霊碑など、折鶴が献納されている個所の、火の用心確認を始める。
22時。
全ての警備体制を解除し、交通規制も解除する。
こうして、長かった6日間が終了した。
事前警備においてはずっと警備本部の立場をやらせて頂いてきた。
あらためて振り返ると、自分が6日に責任者としてこの国際的な一大平和イベントに関わらせて頂いたのは、とうてい信じられる事ではない。
が、事実自分がやった事は紛れもなくとてつもなく大きな満足感が体中を満たしていた。
総てが終わった今となっては、とにかくゆっくりと眠りたい。
ただそれだけだった。
2000/8/6(Sun)
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ミレニアム 8.6前日体制
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平和記念式典前日。
県警も当社も、大増員を行う。
数名だった自分の管轄下のスタッフも、40名近い人数に膨れ上がった。
警備本部に来る無線通信回数も激増した。
公園内の施設や碑の場所の案内に始まり、広島城や宮島の案内、中島小学校や本川小学校など、込み入った内容のものは総て、警備本部に問い合わせがくる。
その他、旧西錬兵場の場所や、旧陸軍空港の場所なども、遺族や旧日本兵だった方々から質問される。
あとは、平家、豊臣家、天皇家、毛利家、浅野家の史跡:遺構などの問い合わせも多い。
交通規制もかけているから、報道陣の車輌や、公園関係者の車輌、それ以外の進入許可は受けていない車輌に関する質問と報告が、無線を通して入ってくる。
それらに的確な指示をだしながら、自分自身も巡回を行う。
しかしそれらの対応は勿論重要ではあるが、本来は「テロ及びその他不当妨害行為」に対抗するのが本務。
「どこどこでなになにが起きた」とか「そこそこでそれそれが始まった」など、県警との連携でさまざまな事態に対応する。
それだけではない。
平和活動でも、公園法に基づいて、それらは全て申請:許可を受けて活動せねばならない。
が、届け出が必要でありながら、ワザと無許可で平和活動を行い、それを主張する団体も多い。
実はこれらが一番やっかいで、規則に従えば「正当な活動であっても無許可ならば、全て排除」ではあるが、人道的に考えれば強制排除は好ましくない。
平和の祭典に、平和活動しに来て、なぜ咎めなければならないのか、その辺の狭間に立つと、実に苦しい。
午前9時からは、韓国人犠牲者慰霊碑にて、供養式典が行われた。
人種差別は現代でも一部に根強く残っている上に、韓国の強硬思想家と日本は折り合いが悪いため、嫌がらせや妨害行為を受けないように、厳重体制に入る。
午後7時からは、戦没者供養塔にて、各宗教各宗派の共同慰霊祭が行われた。
世の中には不思議な思想を持った人もいるもので、「各宗教各宗派が共同で祭事を催すのはまかりならん!」と、強行姿勢を顕にしてくる人たちがいる。
仏教:キリスト教を始めとする、各宗教各宗派が共同で祭事を行うのは、確かに不自然かも知れないが、戦没者だって人間なわけだし、生前にはそれなりの宗教を信仰していたと思われる。
それら宗教宗派は単独で供養はする。
が、戦没者遺族が組織している会で、合同供養を行うにあたってこのような方式をとっているのだから、部外者の思想でこれを妨害するのは許されない。
よってここもこの時間帯は厳重体制となる。
その他、左翼さんも抗議宣伝を行っている…。
そして、右翼さんも外宣車でパレードを行っている…。
観光案内、歴史解説と案内、交通規制、不当活動、無許可の正当活動など、早朝7時から夜22時までてんやわんやの1日だった。
さぁ、明日が本番!
あと1日だ。
このまま無事に終わって欲しい。
とりあえず、ぼくの警備本部は今日が最後。
あしたはただの一隊員だ。
40名近い隊員を使った「平和式典事前警備」は、無事に終わった。
「世界に発信する平和の聖地の祭典の管理保安」「原爆死没者供養式典事前警備」の2つを"自分がやった"という感慨深さは、毎年何かとても清清しい気持ちであり、その全てが一生の思い出になるに違いない。
2000/8/5(Sat)
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ミレニアム8.6事前警備
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朝、平和公園に出勤すると、夜勤者から引継ぎ報告を受けた。
深夜2:50ころ、平和記念資料館前にて放火によるボヤがあったとの事。
建物への損傷や、ケガ人などは存在せず事無き事を得たが、犯人は逮捕できずだったようだ。
また、同じく深夜3:30ころ、公園内北トイレにて、多量の血痕を発見したとの事。
血痕は、ぼくが通勤する時、土橋電停から公園までの距離にも点在しているのを発見しており、道路上に残っていた血痕と、北トイレ内にあった血痕とが、同一人物のものかどうかは特定できないが、その血痕は更に土橋電停とは反対方向の、原爆ドームへ通ずる元安橋方面へと伸びていた。
血痕以外は何も発見できず、被害者もしくは怪我人も存在しないため、この件もとりあえず保留となった。
定時に無事、交代を行い、勤務を開始する。
朝は幾分涼しかったが、昼近くになると、茹だるような気温が公園を包んだ。
猛暑の中、警備員も警察官も、少々バテ気味だった12:00ころ、県警本部から県警警備本部へ無線連絡が入った。
左翼団体が、被爆者慰霊碑の横に掲揚している、「日の丸」を襲いに向っているとの事!
至急緊急体制に入る。
警察官は国旗掲揚台へ集中配備されるため、その他の厳重体制をしいている"碑"が手薄になる。 過去に白昼堂々と「折鶴」に放火された事があるので、警察官の抜けた立哨場所へ、スタッフを配置する。
勿論、国旗掲揚台付近にもすべてを配置し、ぼくは実行中だった任務「巡回定点定時報告」を終了させてから、掲揚台付近へ着いた。
と、話は途中で申し訳ないんですが、これ以上は述べられません。
ゴメンなさい。
2000/8/4(Fri)
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ミレニアム8.6事前警備
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一昨日そして昨日は、のんびり観光案内でしたが、いよいよ今日からは「平和公園警備本部」「広島県警警備本部」が設立され、本格的に保安体制が敷かれる。
公園管理職員の警備部門担当官が、警備隊長を勤められ、公園常駐、公園増員、式典事前の3つの班を統括される。
ぼくは式典事前の日勤担当で、数名の隊員を与かる。
夜勤は競輪場隊長が夜勤隊員を与かられ、24時間体制にて県警と共同で厳戒警備を行う。
午前中、県警の警備本部の方が、ご挨拶に来られた。
「責任者の方は?」と言われて、少々緊張気味に「わたしです」と答える。
何かこのセリフを言った瞬間、いよいよ始まったという実感が、体中を突き抜けたる。
原爆ドームや慰霊碑をはじめとする約60コの"碑"や"モニュメント"が、広大な公園内に点在する。
そのうち、もっとも厳重体制をしいているのが、国旗掲揚台、原爆の子の像、韓国人犠牲者慰霊塔、原爆ドームである。
詳細は機密事項なので、これ以上は述べる事ができませんが、急にピンッと緊張の糸が張り、いよいよホントに本番を迎えたと、否応なしに思い知らされる。
振り続けた雨も、夕方にはやみ、明日からは暑くなるだろう。
平和公園は、世界平和:侵略放棄:核廃絶:人権保護:民主差別廃絶などの、真の平和を世界に発信する聖地である。
いかなるテロや不当妨害行為は、断固として許さない。
それが平和公園任務に従事する者の、義務であり、責任であり、当然の行為である。
憲法集会ひろしまで唱えた正義を、今回は実践として勤務したい。
2000/8/3(Thu)
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まもなくミレニアム原爆忌
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さて、8月6日は20世紀最後の原爆記念日。
今日から6日まで、平和公園にて「テロ及びその他不当妨害行為対策」が始まった。
雨具を着て公園内を巡回してたんだけど、そんな緊迫感はまだなくて、もっぱら観光客への"観光案内"っていう接客業務が主体。
何か変な疲労が溜まってしまった。
この会社には通算で13年間お世話になっている。
俳優をしていた頃も、他の仕事に従事していた頃も、ず~っとここでダブルワークで仕事をさせて頂いてきた。
その殆どは、掛け持ちにて週に何日という形でアルバイト勤務。
平成元年には警察学校へ行って、交通誘導2級の試験を受け資格も得た。
こんなぼくの実績を認めてくれたのか、今年の平和記念式典の事前警備は、ぼくが指揮を取る事になった。
今日と明日は平和公園警備の増員要員だが、あさって3日には警備本部が設置され、日勤者は全てぼくの管轄下に入る。
警備本部の上には、公園管理がおり、公園警備隊長が総括責任者となるが、実務指令はすべてぼくが出す事になる。
今日と明日で、覚える事が山ほどある。
緊張なんかしているヒマはない!
さてさて話は変わって8月は、天文ショーが目白押し!
高原や海辺で、のんびりと星空探索を楽しんでみては?
夏の風物詩である「ペルセウス座流星群」は、明るい流星が多く見逃せないばかりか、この時期にはいくつかの流星群が活動するので、夜空はとても賑やかです。
それと、南の地平線から立ち上る「天の川」は壮観!
その、「天の川」の流れにそって「さそり座」「いて座」「たて座」「わし座」「こと座」「白鳥座」と、夏の星座が並んでいます。
「わし座」のすぐ東側にある「いるか座」は、小さな四角形が目印の、可愛い星座。北東の空には「ペガサス座」の"秋の四辺形"も姿を現わします。
北の空の「北斗七星」は大きく西に傾き、代わって北東の空からは、「カシオペア座」が昇ってきて、「北極星」探しの目印の座をバトンタッチして行きます。
今月のイチオシは、12日に極大となる「ペルセウス座流星群」ですね!!
1時間あたり60個以上の出現が期待でますよ。
今年は、残念ながら満月直前の大きな月の影響を受けるため、条件は良くないようですが青白色で速く非常に明るい流星が多いのが特徴なので、諦めることなく観望してみたいですネ。
「天の川」の中に輝く大きな十字形の「白鳥座」が宵の頭上高く昇って見やすいころとなっていますが、「白鳥座」の翼の北東端よりにあるκ星付近に放射点をもつ、「はくちょう座κ流星群」も極大をむかえます。
ただし、ピーク時でも1時間に2~3個見られればまずまずといった程度の出現数ですから、流星群らしさはあまり感じられないかも知れません。
出現期間は8月10日ごろから8月25日ごろまでのおよそ2週間で、ペルセウス座流星群の出現と重なって活動することになります。
今年の極大日のころは、満月過ぎの月に邪魔され条件はあまりよくありませんが、12日の晩から13日の朝にかけては、大好きな人と2人っきりの海や高原で、夏の流星花火を楽しんでみてはどうでしょう。
12日の晩から13日の朝にかけては、大好きな人と2人っきりの海や高原で、夏の流星花火を楽しんでみてはどうでしょう。
ちなみに今日は「やぎ座」に輻射点を持つ「やぎ座α流星群」が極大を迎える予定でした。なのに広島は雨。
この群の母彗星は「ホンダ・ムルコス・パジュサコバ周期彗星」と言われています。爆発を繰り返しながらゆっくりと流れる流星は非常に印象的で、写真にも写りやすい流星群です。
ただ、出現数は1時間あたり数個と少ないですからカメラの写野の中を飛ぶかどうかは運次第といったところです。
しかし、どっちにしろ雨空なのだから、運は最低と言ったトコかも知れませんネ。
2000/8/1(Tue)
【アメブロの初記事は2007年3月30日です】
つばさワールドは1999(平成11)年10月開設なので、平和記念日と終戦記念日に関する、これ以上古い記事は現存致しません。
1999年以前の記述で、BBS = 掲示板機能を利用して記したものがありましたが、2003(平成15)年頃のサービス終了に際して保存しなかったためです。
どんな些細なものでも、データ保存は必要だと痛感し、反省をしています。
2024(昭和99)年6月6日
☆被爆2世が語る平和記念日と世界史☆
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先に不適切を謝罪しておきます2000
(ーーこの記事は ジオシティーズ″つばさワールド″ から転載したものですーー)
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2000/7/26(Wed)
ちょっと異例な文面ですが、当時の苛立ちが伝わる文章かと、結構 悩んだ結果 転載しました。
負と正を感情のままに、書き殴った感じですが、25年前のまだ若さがやや残る頃の記録です。
コンコルドはその直前に出発した、日本航空機から外れた劣化物をエンジンが吸い込み、爆発炎上して墜落となったことが判明しています。
そしてこの事故を機に、徐々に廃止されて行くことになります。
1925(昭和100)年3月6日
コンコルドが墜落したらしい。
フランスが誇りにしていた超音速旅客機だ!
空港で離陸と同時に、エンジンが爆発炎上して推力を失って堕ちたらしい。
20年間事故がなかったのに、ここへきて事故をしたのは、きっとバチが当たったのさ!
沖縄でサミットをしていながら、沖縄で開催されている「広島:長崎:沖縄、平和遺品資料館」へ、各国の首脳も、各国のマスコミも、誰も行かなかったんだからね。
だから、アメリカ大統領のクリントンさんが、仲介に入って開けてしまった「イスラエル:パレスチナ平和協議会」と言うパンドラの箱も。
中に希望が入ってなくて、戦争勃発寸前の状態になってるのさ。
平和に興味のない者が、和平交渉の仲介したって、成功する訳がないじゃない!
あと5ケ国••••••,必ずバチが当たるよ!!
でも、ロシアさん。
あんたんトコは、占領してる北海道の一部 北方領土を返還してくれたら、きっとバチはあたらないよ!
と、ちょっと皮肉を毒舌で言わせてもらいましたが。
コンコルドは民間の旅客機です。
搭乗されていた乗客のみなさまは、全員死亡だったそうです。
ご遺族の心の痛みと悲しさは、計り知れないほど大きなもの。
大切な人を失う辛さは、魂を引きちぎられた痛みを伴い、生きていることが苦闘に感じるほどです。
中学生の頃、唯一の心のよりどころだった人が亡くなり。その胸の痛さは共感できます。
心からご冥福をお祈り致します。
-安芸もみじ⛩️広島-
2000/7/26(Wed)
【アメブロの初記事は2007年3月30日です】
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領土問題 2000
(ーーこの記事は ジオシティーズ″つばさワールド″ から転載したものですーー)
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2000/7/18(Tue)
日本とロシアによる領土問題。
一時は前進となるかと期待されたが、日米同盟が足枷となって、25年経過しても全く話しが進展していません。
日本はこの北方領土と、韓国に侵略され占領されている竹島、そして新たに中国によって脅かされている尖閣諸島を、問題として抱えています。
日ロ関係はポツダム宣言受諾によって戦争状態は終結しているものの、平和条約を結んでいないために、法的にはあくまで無期限の休戦状態となっています。
2025(昭和100)年3月7日
今日の朝刊に、プーチン:ロシア大統領の共同通信インタビューが掲載されていた。
日ロ平和条約について語られたものですが、この中には北方領土問題にも触れられており、沖縄が米国から返還されても未だロシアに占領され続けている、北海道の一部に明るい兆しが見えた。
本来、樺太:国後:歯舞:択捉:色丹は、江戸幕府によって測量され、それ以来日本の管轄下にあった。
が、近代国際法において、明治政府は蝦夷と琉球の領有権を宣言。
蝦夷は北海道と、琉球は沖縄と名を変えた。
樺太は北海道に属さないため江戸幕府が要らないと領有権を放棄し、サハリンと地続きだったロシアが領土権を所有した。
が、国後:歯舞:択捉:色丹は、千島列島ではなく北海道であったために、日本の領土となった。
そうして日清戦争:日露戦争:第一次世界大戦を迎え、日本は「樺太は幕府が管轄した領土である」と所有権を主張し、実力行使によって制圧した。
が、第二次世界大戦を敗戦を迎えて、ヤルタ密約により樺太はソ連へ返還され、国後:歯舞:択捉:色丹は日本の領土権を認められた。
日本が降伏後にソ連がこの四島を侵攻し、占領したまま領土権を主張しており、ゴルバチョフ総書記長時代に「北方領土においての将来の展望」として話し合われ、手放したくないソ連と、日本固有の領土権を主張する日本とで・・・・。
「最善の方法を模索するための永続会議を設置する」と、書面で交わされたが、ソ連は解体されてロシアに戻った時点でエリチン大統領は、「契約については尊重する」と言いながらもその後はこの問題に取り合わず、現在に至っていた。
これは日米合同委員会による協定で、アメリカ軍が必要と認めたら、日本国内のどこにでも基地を建設できると言うルールがあるため。
北方四島を日本へ返還したら、シベリア海峡よりも遥かな近距離で、ロシアとアメリカの前線基地が対峙する可能性が高く、ロシアとしては返還交渉が進められない事情かある。
沖縄最南端にある八重島列島の北側に位置する尖閣諸島は、国際法上では日本の領土であるが、距離的には台北から約240kmの距離であり、福州からは約420kmの距離にある。
東京から盛岡までが約530kmだから、尖閣諸島は東京よりも、台湾や中国の大都市の方が遥かに近い。
日本帝国時代の遺恨もあって、尖閣諸島は日本国内でありながら、中国と台湾に加え韓国や北朝鮮も領有権騙取を狙っている。
現在、領土所有者日本からは自衛隊が派遣されて海域常駐しており、尖閣諸島は、国民は誰も認識できていないが、日本国内における唯一の、臨戦体制を敷いている地域なのである。
「日本は戦争放棄しているんじゃないの?」
憲法上は戦争は放棄しているが、外国からの侵略に対しては応戦できることとなっているし、そのための自衛隊である。
日本の自衛隊は、中国軍:台湾軍:韓国軍と、日本国内において「太平洋戦争以降」も戦時体制にあると言っても過言ではない。
韓国とは日米韓同盟があるにも関わらず、敵性国家の様相があることが、かなり歪んだ存在となっている。
領海侵犯と領空侵犯の発生件数は、世界的に見ても1~2位を争う忌忌しき事態であり、隣国からの軍事的圧力はヨーロッパや中東の比ではない。
各国の所有権の言い分についても納得できるものも部分的にあり、日本が領土所有権を持った経緯は不明瞭へ陥れられかねない現状。
これに比べて北方四島は歴史的経緯が明確であり、早急な領土の返還に向けて前進して行って欲しいのだが。
話しは少し逸れるが、北方領土と竹島はロシアと韓国がそれぞれ″実効支配″しているが、尖閣諸島は日本が″実効支配″している訳ではない。
なぜなら、北方領土と竹島は外国によって侵略を受け占領されているからだが、尖閣諸島は所有者が領有していて、外国から奪取の危機があると言う現状だからだ。
マスコミが尖閣諸島を日本が実効支配をしていると言う表現をするのであれば、日本の各都市圏や首都 東京でさえも、外国から実効支配していることになる。
日本人が日本を領有しているのだから、尖閣諸島を実効支配していると表現するのは、甚だおかしいとしか言えない。
それとも日本のマスコミは、日本人には元々の領土は所有していないんだとでも、主張しているのだろうか。
-安芸もみじ⛩️広島-
2000/7/18(Tue)
【アメブロの初記事は2007年3月30日です】
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