嫌いな言葉は「親孝行」だ。
さんざんそうしろと
言われてきたからだと思う。
「お前も親になれば分かる」
とか言われてきたけれど
子どもを産んでよく分かった。
「親孝行」なんか
1ミリもしてほしいと思わない。
だって、彼は彼、私は私すぎるから。
今たまたま一緒に暮らしてるけど
別人すぎてこの先どうして欲しいとかも
全然ない。
片付けしろ、とか歯磨きしろ、はあるけれど
先のことは結局
本人にしかどうしようもないのだし
何をどれだけ吹き込まれても
本人がいいと思わないことはできないのだ。
わたしは初孫で長女だったから
「血」だの「跡継ぎ」だの「墓守り」だの
子どもの頃から死ぬほど聞かされてきた。
突然何の話かって?!
今わたし、「お盆鬱」。
戦争鬱でもあるし、原爆鬱でもある。
…この季節はいつも気が重い。
次世代に何かを伝えようとする先人たち
(親や祖父母)の気持ちは、分からなくもない。
だけど嫌がる本人に繰り返し言い聞かせるって
「呪い」にしかならなくて
わたしはいまだにその呪いを
祓いたくて書き散らかしているのだと思う。
先週公民館に行ったら
毎年恒例「原爆の展示」がされていた。
それらは、若い美術学生たちによる
原爆経験者に聞き取った光景を
絵や立体作品として再現したものだった。
高齢化した当事者に話を聞いて
それを絵に描いたり、立体作品にしたもの。
生々しくて見ていられなくて
子どもと一緒に来ていたのに抑えられず
涙があふれた。
亡くなった父方の祖父は
被曝手帳を持っていた。
原爆投下後の広島に翌日入り
死体や倒壊建物の、片付けをしたと聞く。
後年、ガンが転移し
手術代や入院費がかさんだかと思いきや、
この手帳のおかげでほとんど無料だったそう。
小学生の頃、宿題で
祖父の若い頃を手記にしてもらう
というのがあった。
控えめであまり話さない人だったから
とても興味深く読んだことがある。
そこには、戦前、若かりしの
楽しかった思い出が綴られていた。
子どもの私には想像し得なかった祖父の記録は
戦争を機に失われた過去の輝きだった。
わたしは、
「おじいちゃんは本当は、今のような
未来を望んでいなかったのかもしれない」
と感じたのだけど、言葉にならなかった。
時代の呪い、戦争の呪い、親の呪い…
土地の呪い、宗教の呪い。
みな好き好きに
色んな呪いにかかっている。
自ら選んだことを忘れ
時を経ても解放を許さない。
かかってしまった呪いには
同じだけのパワーで対抗するしかない。
やられたら、やり返す。
言われたら言い返す。
ストレートにはいかないけれど
心と体に溜まった負の澱を
過去に感じた様々な気持ちや思いを
自分の中から外へ出さなくては。
呪いを解く方法、
それは「表現すること」。
飽きるまでし続けること。
わたしも過去のだれかれに言い返したいのだが
すでに相手がいないので
こうして空砲ぶっ放してるってわけです。
過去入ってた宗教の話もそう。
「言ってはいけない」を、解放する。
なんだって言ってもいいんだよ。
ネガティブに見えるだろうこれは
明らかにわたしの健康活動。
表現、て様々な形を取ることができるけど
手っ取り早いのは
思ったこと全部言う、てことだね。
わたしにはそれがなかなか叶わなかった。
優しい子どもだったから。
今は腹黒い大人のわたしだから
もう何を言っても大丈夫。
ということで、壮大なまとまらぬ話だけれど
「親孝行」という言葉が嫌い。
産んだ子には、今まさに
親孝行してもらってて
毎日可愛いからそれだけで癒し。
8割下ネタだけど!
子どもには、親にも過去にもとらわれず
今を生き続けてほしい。
だからわたしも、そうしてゆく。
本音を言うと…
お墓参りに行きたい。
