先日、とある、船橋市市議会議員の方に意見を求めてメールを差し上げていたのですが、下記の内容の返事をいただきました。

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弓場様

 

こんにちは。メール拝読させていただきました。

ご意見ありがとうございます。

関東大震災時の流言により、船橋をはじめ多くの地域で何ら罪の無い方々がいわれの無い差別と犠牲になったことは決して忘れてはいけないこと思います。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/129373

私の会派の同僚議員も船橋での慰霊祭に招待されており、状況は聞き及んでいます。

 

一方でこの行田公園の碑文については、行田公園自体が千葉県の管理下にあり、碑文の設立経緯を含め、詳しくは把握していない状況にあります。今後、県とやり取りする機会がありましたら、ご意見としてお伝えさせていただきます。

なお、こども記者については、私の子どもも参加した事がありますが、市として特定の政治的な意図を持って記事を誘導することはありません。

 

いずれにしても歴史が政治利用によって事実が曲解されることがないように目配りをして参ります。

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 つまり、行田公園は千葉県の管理下にあり、海軍無線所の記念碑については設立経緯も含めての詳細が不明という事らしいです。私は船橋市広報課にもメールで説明を求めていますので、こちらもどのような内容の返事が届くのか待ちたいと思います。

 さて、虐殺があった本町7丁目にある「天沼弁天池公園」ですが、昭和40年頃から埋め立てが始まり現在の公園になっていますが、それまでは、池になっていました。

        ↓

 私の以前の住まいがこの公園の近くにあったので良く散歩にも訪れていましたが、こういう状態であった事は知りませんでしたが、住まいの近所で新築のマンションが建てられていた基礎工事の時にかなりの水が湧出していた事を知っていますので、天沼弁天池公園も上の写真のように池であった事が伺えます。

しかし、1923年の朝鮮の人たちの虐殺は紛れもなくあった事は事実で下のtweetを読んでも分かります。

 

 

 ちなみに、虐殺には家族も含まれていたとされていますから、福田村のように手を後ろ手に縛らて池に投げられた可能性もあるでしょう。なぜなら、この公園内から遺骨も出ているからです。そして、上の下飯山満とは現在の習志野も含まれている事から虐殺現場の一つとして証言が残っているのが、大久保公民館の裏という証言もあります。この事は、習志野市議会議員の谷岡氏も書かれています。

 

 

 兎にも角にもあるまじき行為を平然と行っていたという事です。以前にも書いたように、大災害が起これば「流言飛語」が飛び交いこういう事態になるという事でしょう。今でさえ、マスコミ・メディアの報道の多くが信頼に欠けています。

 

2023年6月22日

船橋市海神:弓場清孝