私の生家というのは広島県神石高原町なのですが、今は下の画像のように雑木林と山に埋もれて廃家となっています。

 そして、ここから、4軒先の下にⅯ家があり、今は寺と幼稚園の駐車場となっています。

 

 さて、今日はそのⅯ家の姉さんと弟(兄)さんと話しですが、弟(兄)さんは広島に原爆が投下される前に準軍属として、出兵を命じられて家屋疎開に広島市に赴かれましたが、帰宅される事は無かったので、お姉さんが行方を捜しに広島に入市されたのです。

 

 実は、その姉さんも帰宅後に体調を崩されて、寝たり、起きたりという、いわゆるブラブラ病にされ、近所からは嫌な顔をされていました。そのような姉さんを気遣っていたのが私の母親だったので、私が学校から帰宅するとヤギの乳しぼりとか、風呂焚きや食事の支度などの家事の手伝いに行かされていました。そして、その姉さんも私が定時制高校に通っていた頃に福山市の病院に入院され、後で聞いた話しによると原爆病で亡くなられたと伝えられました。

 そして、今日の午前中の話しですが、神石高原町の原爆被害者協議会の山本さんに電話で尋ねると、『当時の「甲神部隊」としては、階見村は甲奴郡上下に所属していたので、神石郡としては所在と資料が不明なので、出来る限り調べてあげます。』と仰っていただきました。つまり、どういう事かというと、階見村の一部(黒木谷)が三和町高蓋と合併した事で、甲神部隊で、被爆された方やその後、入市され二次被曝された方たちの事が不明となっているという事なのです。その「甲神部隊」についてはその一部が「一握之灰」に書かれてあるのです。この本も貴重な資料ですが、すでに古書店を探してもありません。

 この記事の最後になりますが、私が卒業した小学校も中学校も廃校となっています。

 

 

2023年6月15日

船橋市海神:弓場清孝