船橋市は1937年に旧東葛飾郡の一部と千葉群の一部が併合され市制として施行され、現在は64万人を有する人口規模で日本最大とも評されている。
その船橋市の北方に位置する行田地区の中に旧海軍の無線塔を持つ無線所が設けられ行田の無線塔と呼ばれていた。(地図の丸い箇所・中央に県立行田公園)
この無線塔は1913年に着工し、1915年にはドイツのテレフン社から無線機器を導入し、1915年4月には開所式が行われ、米国ハワイのオアフ島との交信が成功し、同年、8月から正式に軍用通信が開始されたとされている。そして、1923年の関東大震災において、当時の所長が「『朝鮮人が暴れている』とデマ情報を流し、地元の人に警備を要請。これがきっかけで虐殺事件が起きた」と東京新聞が伝えている。
そして、この当時の所長をウイキペディアで見ると1923の関東大震災当時は田中茂支中佐に当て嵌まる。
さらに、船橋市は兵隊・軍属の産業が発展した都市でもある事から、「船橋は兵隊の町」とも呼ばれ、兵站物資の集積地・流通地として栄えている。
そして、現在、行田公園内に設置されている旧海軍の無線所と無線塔を記念し、この記念碑の下に下記の文言が記されている。
私はこの記念碑と文言に対して、あるいは、船橋市民の一人として恥ずかしく思うと同時に嫌悪感に苛まれる。それは、この記念碑が戦争を賛美しているからだ。さらに、救援の電波を流したことには触れているが、朝鮮の人たちを虐殺した事には一切、触れていないことだ。しかも、市民に親しまれているという事は何を指しているのだろうか。「ニイタカヤマノボレ」は太平洋戦争の始まりであり、広島・長崎に核兵器が利用された事で終わった。
ちなみに、私の郷里では、はっきりと「戦争はいやだ」からはじまる文学碑が置かれている。
2023年6月6日
船橋市海神:弓場清孝





