数年前にも書いていますが、「日本平和学会」会員の谷整二氏がドキュメントに拘り井伏鱒二の下記の文節に対して批判されていますが、文学としてあたらないと従来がから思っています。そして、これらについて神石高原町小畠に在住の重松文宏氏にも近いうちに報告したいと思います。そして、ここに再び「日本平和学会」の2015年の井伏鱒二の「黒い雨」批判のリンク先と文節を載せますのでみなさんでお考え下さい。尚、下記に私の反論を記します。
① まず、最初の安子さんについてですが井伏鱒二の「黒い雨」においては「矢須子」と書かれています。そして主人公たちを偽名としたのは、井伏鱒二の「黒い雨」の最初の作品名が「姪の結婚」で安子さんが原爆病により差別を受ける事になり、結婚できないという事が事実上あったからでしょう。そして、何度も書きますが「安子」さんは海上には出ていません。当時8月6日は勤務先であった宇品にある日本通運で会計係の見習い業務の仕事されておられて、午前8時15分頃には確か県庁に向かわれる途中で広島市内で火災が発生した事からなどの事から引き返されたところに重松夫妻が安否のために日本通運を訪れられ3人で昼食をすませてから、静馬氏の職場でもある古市に自宅や爆心地付近も通り向かわれる途中で黒い雨にも接しられ、後年になってから心臓病を発症され、35歳で亡くなっています。20歳で被爆(被曝)され15年後に亡くなられたという事です。
② 広島城については「はだしゲン」でも書かれていますが、天守閣は浮き上がっています。そして東東南に飛んだという説もあって、その場で崩れたという米軍機の撮影こそがおかしいと言わざるを得ません。
③ 国泰寺の楠については文学上の性質として、また、原爆の惨状を知らせるためにも有効だと私は思っています。
④ 広島二中の生徒に「海ゆかば」を歌わせたかどうかは定かでは無いと私は思います。生徒の中には唄ってから亡くなった可能性も否定はできません。当時は軍都広島と言われていた時代背景も加味するべきです。
⑤ 広島一中にはプールが存在していました。防火用水として利用可能でしょう。
⑥ 相生橋で荷が抜き取られたというのは、何も被爆直後の話しではないかも知れません。
⑦ 町役場が閉鎖の状態を表すのに何もここまで書く必要があるか?
⑧ 木造橋が焼けたと書いてあって落ちたとは書いていない。
⑨ 薬屋に火をつけたかどうかは定かではないが、可能性は否定はできない。
⑩ 高蓋村の件については小畠村との合同部分があり、個別では判断ができないというのが本来のありかたであり、例えば一握之灰などでは甲神部隊のほとんどが亡くなったと書かれている。
* いずれにしろ、井伏鱒二の「黒い雨」は重松日記が元本である事から批判には当たらないし、文学上において成立していて、NHKですら戦争体験として、故・奈良岡朋子さんが朗読され放送している。
2025年5月30日
船橋市海神:弓場清孝


