以前、少し書いたのですが、広島に原爆が投下された1945年8月6日に広島駅からヒバクシャの人たちを芸備線で県北の救護所へと治療のためと避難のためにと列車を運行させた事をNHKが昨年8月6日に報じているのです。私の生まれ故郷に近い福塩線の上下にも診療所で受け入れていました。

 

 

 しかし、広島市の横川駅からの可部線については沿線沿いに救護所はあるものの列車は運行されていないという理由は横川駅が原爆の影響で大破されたためという状況のもとに運行されなかったというのは事実のようですが、救護所が沿線沿いに設けられたのは列車を動かしたのではないかという疑問があるのです。

 上の「重松日記」には可部線の「山本駅にたどりついた...」という文章が残されていますが、この山本駅というのは1943年に廃止となっているのです。しかし、沿線沿いに救護所が設けられているからには臨時列車を山本駅から出したのではないかという事を知りたくて、JR西日本に問い合わせたら、「国鉄時代の資料は当社では持ち合わせていませんので詳細は解りません」との回答がメールで届いたのです。

 これらの事も、いわゆるGHQによる被爆者隠しに使われたのではないのかと私は思うのです。何故ならマッカーサーは当時、国鉄運行にも指図していたからです。

 

2022年9月20日

船橋市海神:弓場清孝