「街が壊滅したあの日、確かに私は列車を走らせました。乗客が元気になってなんとかおうちに帰れればいいなと」
「あの日、列車は走っていた」というタイトルでNHKの福山支局の人が広島に原爆が投下された1945年8月6日に広島市民を救うために自ら被爆(被曝)し、背中や首を火傷しながらも、芸備線の列車の運行させたという元・国鉄職員を取材された記事が昨年、取り上げられています。先日、同じく北部に向かう可部線の横川駅からの避難列車は運行していなかったのかJR西日本に問い合わせ中ですが、時間がかかるとメールだけは届いています。芸備線は線路沿いに救護所を設けヒバクシャの人たちの治療にあたった看護師さんの事にも触れています。これはイデオロギーで済ます問題ではない事から、取り上げているのです。
そして、芸備線沿線だけではなく、福塩線(塩町ー福山)の上下にも避難所としても病院が解放されていたと思います。
2022年8月31日
船橋市海神:弓場清孝
