以前にも書きましたが、ポツタム宣言は1945年の7月26日にイギリス、米国、中華民国の名においての日本への降伏要求の最終宣言でもあったわけですが、この時点ですでに日本は東京大空襲もすでに始まっていて、首都としての機能は失っていたと言っても過言では無いでしょう。私が現在、住んでいる千葉県船橋市にも都内からの避難者が、特に南本町などへ避難されていたのです。そして、全国的にも都市への絨毯爆撃や列車などへの射撃も始まっていて、国際連盟でも禁止されていた民間人への攻撃も平然と行われていたのです。

 日本がポツタム宣言を受け入れたのは広島や長崎に原爆が投下され多くの民間人が犠牲になった後からで1945年の8月14日になってからです。そして、8月15日になってから天皇による玉音とも呼ばれる敗戦の放送で日本の庶民は日本が戦争に負けたことを知ったのです。

 これだけでも、そうとうに洗脳されていた事が判りますね。私の郷里でも原爆が投下される直前になっても多く人たちが広島に建物疎開などで徴用され、原爆の犠牲になっておられます。(この数は1985年の犠牲者数ですから、もっと増えていると考えられます。)

 当時の徴用というのは日本軍部の命令によるもので、逆らえば憲兵に逮捕されますから、内心は嫌でも行かざるを得なかったというのもあったでしょうね。

 「貴様たちは国家存亡を賭けたこの一戦に、今日まで従軍志願を積極的になさなかったのは何事であるか。国賊にひとしい奴どもである。その意味をもって今日只今より.....」

 

 そして、原爆が投下されても天皇が「日本は負けた...」とNHKで放送するまで、徴用されていた人たちは軍属扱いで被ばくされていても亡くなった人たちの死体処理まで行われされていたのです。

ですから、「わしらは国家の無い国に生まれたかったのう」と自然と口に出るのも不思議では無いでしょう。(つづく

 

2022年8月21日

船橋市海神:弓場清孝