先日、私の郷里で町議をされてる方のFBにコメントを入れさせて戴いていたら、返事を戴き、私が卒業した小学校はすでに廃校になったと知らされて少し悲しい気分になりました。それはそうかも知れませんね。すでに半世紀以上も経っていますから、それで、気になったのでグーグルアースで検索してみたら、校舎は残存していましたが、今は倉庫に活用されているようです。当時の校舎は木造でした。

 下が井伏鱒二の「黒い雨」にも出てくる現在の高蓋村です。

 この道路を毎日、歩いて通学していました。現在、道路は舗装されてガードレールも設けてありますが、当時は砂利道でした。この道は小学校の前を通り小畠村の方へと繋がっていました。ちなみに。私の生家は正面の小山の向こう側で通学にはおよそ2キロは田んぼのあぜ道などを含めて歩いていました。このような山村でも戦時中には義勇兵として、広島市内の建物疎開の徴用もあぅたのです。この本にもあるていどは詳しく書かれてあります。

「一握の灰・・生きては戦場の修羅、死しては一握か」

 

 

 2022年5月6日

船橋市海神:弓場清孝