さて、今日は長崎原爆平和式典が行われ、菅首相は遅刻して式典に臨んだそうです。何たる事か!
そのような中で被爆者代表の挨拶として、当時、看護専門学校生だった「岡信子」さんが、ウジが湧くほどの大怪我しても、長崎県日赤支部より「キュウゴシュットウセヨ」の命を受け、新興善救護所へ動員されたそうです。
このような救護班は広島原爆投下時でも行われていて、「二次被ばく」するということも知らされずに私の郷里からも広島市内に入市されていました。
これも何度も書きましたが、広島・長崎原爆投下後に日本は降伏し、GHQが日本を占領して、マンハッタン計画の現場責任者でもある「トーマス・フランシス・ファーレル」が帝国ホテルで記者会見し「広島・長崎では、死ぬべき者は死んでしまい、9月上旬現在において、原爆放射能のために苦しんでいる者(原爆症患者)は皆無だ」とするデタラメ声明を出したのです。
このような事からも「黒い雨」裁判が長引いたのです。原爆投下から76も年経った現在になって、ようやく被ばく者の人たちがこれで、報われたのでしょうか?76年なんて、半世紀以上ですよ!しかも、菅首相は核兵器禁止には触れていませんでした。
2021年8月9日
船橋市海神:弓場清孝

