戦後、東京五輪が開幕したのは1964年で、私が中学一年生の時である。それに併せて開通したのが、新幹線や高速道路でもあるが、カラーテレビもそうであったと思う。
私が嫌だったのは中学の授業で五輪が取り入れられ、強制的に見せられて、各家庭でもカラーテレビが無ければ同級生とも話しができないという事にも繋がった。そのころでも、我が家にはテレビそのものも無く、ラジオで聞くしかなかった。当然、級友との話しにもついていけなかった。我が家で始めてテレビを買ったのは父が癌で亡くなった後のことで、家には母が一人になってからである。兄が中学を卒業し、大阪で働き、僅かのお金を母に仕送りをしていて、そのお金で買ったのだった。当時、私も家から通うことができない福山市で働いていて、夜は神辺の定時制高校に通っていたので、家に帰るのは土曜日で2週間に一度くらいだった。そんな中で父が亡くなった。49歳の命を閉じた。父は戦争に行き、戦地で胸に貫通銃創を負っていた。銃創痕は正面の傷は小さいかったが、背中には大きな傷跡があった。父の話しでは助かったの奇跡的だったとも言っていた。現地の人に助けられたとも言っていた。
そんな父が山仕事の薪を福山までオート三輪車で運び三洋のラジオを買ってきた。私たち兄弟は夕方からラジオを聞くのが楽しみで、都会の話題が刺激を与えたのだった。しかし、私たち家族には縁も所縁もほど遠い、世界の話しでもあった。
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