岸上は戦病死で父親(岸上繁一)をなくした後、貧困な母子家庭に育つ。長男。中学時代に社会主義に関心し、兵庫県立福崎高等学校に入学して、文芸部に入部。詩、俳句、小説、ドラマなどを書くが、「まひる野」に入会して短歌のみを志す。國學院大學文学部に入学し、安保闘争を闘い、機動隊に負傷させられる。1960年の秋、安保闘争のデモの渦中に身を投じた経験と恋とを詠ったとされる「意思表示」で短歌研究新人賞推薦次席。安保世代の学生歌人として「東の岸上大作、西の清原日出夫」と謳われた。同年12月、失恋を理由として縊死。死の寸前まで書かれた絶筆「ぼくのためのノート」があるが、岸上が恋愛のために自死したというのは少し違うと私は昔から考えている。彼の短歌からそれが読める。
意志表示せまり声なきこえを背にただ掌の中にマッチ擦るのみ
ヘルメットついにとらざりし列のまえ屈辱ならぬ黙祷の位置
装甲車踏みつけて越す足裏の清しき論理に息つめている
悲しきは百姓の子よ蒸し芋もうましうましと言いて食う吾
分けあって一つのリンゴ母と食う今朝は涼しきわが眼ならん


