以前にも何度か記事にしていますが、原爆文学として高い評価も受けている井伏鱒二の「黒い雨」ですが、その内容には偽りもあるとして批判されていることは事実です。例えば以前にも書いて私は抗議もしていますが、いまだに公表されています。その一つとして以下の文章があります。これは私の郷里の人たちのことです。
その一つの文章を以下に抜粋します。
「帰郷後の保健婦たちは、なかには被爆患者と同じように下痢をしたり、少しは頭髪が抜けたりするようになる者がいた。しかし、治療法もなければ薬もない。何としたものかと狼狽えまわり、その挙句、お灸で気休めしてるのもある。白血球を減らさないようにするために、鉢植えのアロエの葉を食うものもある。藁にもすがりたい気持ちは僕にも分る。保健婦たちと違って焼跡を歩きまわった救護班員は、高蓋村では二十一人のうち現地で一人死んで、帰って来て原爆病で十一人が死んだ。焼跡を歩きまわったというだけでこの有様だ。来見村では十六人のうち、十五人が死んで一人生きている。仙養村では全部のものが亡くなった。....」このことは奈良岡朋子さんの朗読にも使われています。後半部分を聞かれてみてください。上記の青い記述が朗読されています。
実はこの記述について「事実誤認」として批判がされているのです。私の郷里の人たちについての実相なのです。批判はこちらです。
井伏鱒二著『黒い雨』調査報告(日本平和学会)https://www.psaj.org/2015/06/11/%E4%BA%95%E4%BC%8F%E9%B1%92%E4%BA%8C%E8%91%97-%E9%BB%92%E3%81%84%E9%9B%A8-%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A/
「救護班員は高蓋村では21人のうち現地で一人死んで帰って来て原爆病で11人が死んだ」→『神石郡誌続編』昭49年出版940頁~1080 頁より 「警防団員でも国民義勇隊員でも救護班員は準軍属である。高蓋村では原爆で死亡した軍関係者は軍人17名、軍属1名、準軍属0名 計18名で救護班員だった者はいない」
赤く書いてある、ここに問題が多くあるのです。私は子どものころに近所の松村の姉さんからも母親からも聞いています。例えば松村の姉さんは弟さんが原爆が広島に投下される前に広島市内に建物疎開に出向かれて、原爆投下後に行方不明ということで松村の姉さんは救援に向かわれてもいるのです。そして、弟さんは亡くなられて、姉さんは帰郷後に原爆病を発症されていたため、私の母親が松村の家に家事の手伝いに行くようにと、夏休みのあいだや、学校帰りに寄り、ヤギの乳を搾ったり、風呂水を入れたり、晩ご飯の準備をしたりしていたことを覚えています。姉さんは当時、歯が抜けたり「黒い雨」の記事に書いてあるような症状になられていたことも覚えています。
私の郷里では原爆による犠牲者は総数で現在、500名以上にはなっているでしょう。
今夜のツイキャスの話題にします。「弓場清孝の原爆の話し②」https://twitcasting.tv/roro101577
2019年8月7日
船橋市海神:弓場清孝
