今日の東京新聞の特報に「入管難民法改正案ずさんな日本語教育」という記事が載っている。

     

 私は今の外国人労働者の受け入れには大きな問題があると常々、考えているが「言葉」の問題も大きな壁の一つだと考えている。先の記事にもコメントで書かせていただいたが、日本人は外国人労働者に対して根本的に「対等」という思考が欠けているのだと思う。バブルのころにも東南アジアなどから多くの外国人労働者が借金を背負わされて来日し、建設現場などでも多くの人が研修という名目で日本人労働者と同じように働かされてはいるが、言葉の壁で重大事故に結びついている事態も多かった。そこには東南アジアの人を中心にして見下すという日本人特徴とでもいうのか、戦時中にアジアに攻め入ったときくらいからの思考が根強く残っていて、建設現場などにおいては特にその傾向が現在でもあるのではなかろうか。

 手元に「原発労働者」という寺尾紗穂さんの著書があるが、これには私のことも書かれておられるが、冒頭には山谷で暮し、建設現場で親方をやっていた人のことを書かれていて、その人の活動は時たま注目されていて新聞記事にもなっているが、現場で多くの外国人の指導もされていて、現場で使う言葉を相手の国の人の言葉に直し、また、日本語も教えるということをやっておられたいう。

 ところで当時、日本人男性が東南アジアに観光と処して行く目的の多くは女性であり、私はとんでもないことの多くも目撃している。そこには到底、「対等」とは真逆の言葉が存在していたからだ。

 2018年11月27日

船橋市海神:弓場清孝