私の父は戦争が終わって戦地から帰って、49歳で肺癌になり、苦しみながら病院で死去しました。

 肺癌になったきっかけは、葬儀の時に近所の人が仰ったのは「恐らく農薬だろう」と云われました。当時、主に使われていた農薬というのはDDTやポルドー液などで、人体には影響が少ないと、当時の政府が挙って農家に奨めていたのです。

先日も書きましたが、占領政策の一つとして、もちろん米国も関与しています。

      

 当時の農薬散布というのは、背中に散布機を背負い、戦後まもなくはエンジン式が普及していませんでしたので、手動式で噴霧器を回して体中、農薬で真っ白になりながら噴霧していたのです。