『窓際のトットちゃん』 | merah hand~メラハンド~自然体で生きる

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ボディーケアから心のケアまで
知識と技術と精神(心)の仕組みを融合させて
なりたい「あなた」に導くお手伝いをしています。
骨盤・姿勢・小顔、全身バランス、エネルギー調整
各種技術講師
マヤ暦アドバイザー

今日はお仕事はオフ。プライベートなお話、、、というのも

 

実はセンター試験カウントダウンの息子がいるにも関わらず、お風呂上りに頭が濡れたままうたた寝をしてしまうという完全なる過失による鼻&咽喉風邪をひきまして。。。。

 

昨日はたまたま施術のキャンセルも相次ぎ、とにかく一日寝てダラダラ過ごしたらすっかり体が怠けモードに。思う事あり、古い本『窓際のトットちゃん』(著黒柳徹子)を出してきて目を通す。

 

熱もなく流感風邪でもなく本当に単なる過失なのですが!?結局センター利用のウェブ出願から、用紙の作成まで全て長男任せの情けない母。

 

次男の部活のお弁当を作るきにもなれずごろごろしてたら、自分でおにぎりも握り、韓国のりとか適当に詰めて弁当作ったという報告。

 

主人のお弁当はことわりもせず作らなかったら、お昼コンビニ弁当買うけど、なにか買って行ってあげようか?との電話が。そしてパジャマ姿(正式には全身ウォ―マーロボット)のひどい私の様子を見に一時帰宅。

 

な、、情けない、、でも感謝してそれに甘えることに努める今日という日。

 

息子達を見ていると私の子育ての原点がここにあったなと久しぶりに『窓際のトットちゃん』に目を通す。

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遡れば私の母が、この本やシュタイナー教育の「ミュンヘンの小学生」などに強く影響をうけ、私を少し遠くの幼稚園にバスで通わせた。

 

そこは神社が経営する幼稚園で広い敷地に森や運動場、川の流れる飼育小屋もあり、絵画室もあった。絵を描くときはまずは本物を触らせる。例えばカマキリを描くとなると実際のカマキリを見て触ってから、絵画室で絵を描き始める。カマキリが怖かった子は画用紙の隅に小さいカマキリ。迫力があって怪獣みたいにかっこいい~!と思った子は画用紙4枚を使ってカマキリを書く。絵画室は絵の具が飛び散ろうが、床に書いてしまおうが何でもOK!思うままに表現する。だから飾られてる絵もいびつなこと。画用紙を4枚の子もいれば。1枚の隅に点の様に書く子もいたり。とにかく毎日幼稚園に行くのが楽しくて楽しくてしかたがなかったのを覚えている。

 

だからこそ、息子たちにも毎日楽しく幼稚園に通って欲しいとの思いから、0歳から幼稚園めぐりを始めた私。

 

園選びに重要だったことは子供達の描く絵だった。幼稚園に飾ってる絵を見るとその幼稚園の大事にしている事がみえてくる。同じサイズの丸い顔に全員肌色で、目が黒くて、口が赤で、、、、って子供の感性を考えるとちょっと違うなと。

それは子供一人一人の考えを尊重してくれるているかどうかということにもつながる。

後何より重視したのは縦割りなこと(異年齢と過ごすこと)

 

これが私幼稚園選びの原点になり、モンテッソ―リ系の子供の家に出逢った。

 

4年保育の少人数性。縦割りのグループでの生活。お世話係がいて下の子は憧れのお兄さんお姉さんを見て育つ。

 

言われるのではなく憧れのモデルがいるという事は、自主的にああなりたいと夢が膨らみ自らと取り組む姿勢につながる。上の子には下の子を見る責任感もうまれる。

 

園庭という限られた空間で遊ぶのはもったいないと、いつも外に散歩に出るのだけど、まずは外に行く時のルールを子供達で話し合う。そして約束してから、上の子は下の子を、下の子は上の子に必死についていく。先頭としんがりにしっかりした上級生をつければ先生は一人で充分。

 

普通同じ学年の幼稚園児が30人もいて園庭以外に出かけるとなったら、先生は前に真ん中に後ろに配置され子供たちに目を光らせてというのが常識。

 

うちの幼稚園は子供達を見守る先生が1人いればそれでいい。

2才から包丁も使うし、年長になるとお弁当の味噌汁係りやが始まる。

 

基本子供たちが主体となって先生も親も見守る。

 

モンテッソーリ教育の為、園では子供たちのやりたい事をとことんさせる。だから図鑑を浸すら読む子もいれば、数字を書く子、縫い物をする子、コーヒーをミルで引いたり、うちの次男の様にひたすらきゅうりを包丁で切る子もいる。

 

大事な事は、自分でやりたいことを選びやる場所を決めること。それはいずれ自分の居場所みつけて(作れる)自立して生きていくことにつながっていく。

 

選んだ事に対してルールを守って物を使える環境が準備されていること。自分が納得するまで、やりきる事。一回やれて満足な子もいれば、3ヶ月やり続けて納得する子もいる。それを見守る仲間と大人。

 

『窓際のトットちゃん』でも

とっとちゃんがいわゆる昔のぼっとん便所にお気に入りのお財布を落としてしまって、自分で一日かけて汲み取り探すという場面がある。

 

何よりすごいのは、校長先生が汚いからやめなさいという訳でもなく、一緒にやろうと手伝うわけでもなく、その意思を尊重して手出しせずに見守るということ。

 

結局お財布は出てこなかったけど、とっとちゃんはやりきった事に満足でもうお財布に未練もなかった。

 

簡単なようでとても難しい事だと思う。

 

わかってはいても否定したくなるし、アドバイスしたくなるし、時間の無駄だからと気持ちを奪う。わかってはいても親としてそんな事の連続だったと思う。

 

小学校は決まった学校だし、せめて選べる幼稚園だけでもと探して出逢えた幼稚園。本当に多くの事を子供はもちろん、親も学びました。

 

そしていまでも一生の財産がそこで出逢った先生や仲間。もしかしたらそれこそが全てなのかもしれません。

 

と自分のぐうたらデイを、過去の美化した記憶をさかのぼる事で楽しんだ一日でした。 

私の周りの皆さん。ごめんなさい。そしていつもありがとう♪

 

それにしても長い(汗)

 

明日からは始動します!!