ここのところ忙しかったし
疲れがたまっちゃってるから
今日の午前中はゆっくりしよ♪
と、思いつつも
映画にでもいくか?と
今日はダラダラ過ごす❤️を邪魔する知的好奇心…と言っても、その真実は純粋な好奇心じゃないことがわかった瞬間、STAR1でパウロの物語が始まった。
特に興味はなかったけど
このタイミングなら観るしかないなと
途中棄権してもいいように…いや
もしかしたら大事な知恵が与えられるかもと
録画して観ていた。
結果… 私の今世の肝であろうソレが
ハッキリした。今回ばかりは降参な感じで…。
なぜ教会や聖書が与えられたのか?
なぜそこで人生を大きく変える出会いや学びが与えられたのか?
なぜ真理を聖書やそこで出会った師や仲間を通して学ぶ機会を与えられたのか?
なぜ私は、神社仏閣より教会という場所で心が震えるのか?
そして、恐らくその中でしか
私の今世のお題には気づけなかったかもしれないということも…。
私にとっての今世のお題、それは…
『許し/赦し』だ。
許し/赦し への理解が
今までの理解とはまるで変わった。
私はきっと一生をかけて
この許し/赦しの学びを深めながら
自らを許し/赦し
すべてを許し/赦し
この許し/赦しの空間、可能性をどこまでも広げていくことに、尽力するのだろうと思った。
信じていなければ 命など掛けられない
映画の中で、キリストから学んだ真理を説いてまわる使徒としてのパウロのセリフだが
本当にそう思った。
私はノンクリスチャンだし
今後もクリスチャンになるつもりはない。
現代社会の宗教という枠に囚われたくないと思うから。
ただ、今のところ私にとって
聖書から紐解かれた『許し/赦し』の真理が
わかりやすいということだ。
なぜならイエス・キリストは
『許し/赦し』の王様だからだろう。
今だかつて、キリスト以外に
磔(というショッキングかつこの上ない絶望な状況)に
されてなお
磔にした者
その傍観者
石を投げつけるもの
罵倒するもの
手を下すもの
心離れていく者
憐れむもの
処刑する側を恨むものetc.
それらすべてを赦してくださいと
神に祈りながら死んでいった者を
私は知らない
いや、実は私の師の一人はまさに
このキリストと同じ事をやってのけたんじゃないか?ということを、今日改めて確信した。
この世の見えない世界の仕組みを理解していなければ、絶対になせない業…。
強い…。
苦しいほどに強い愛を感じずにはいられない。
この狭間の苦しみを私も2年前に体験したが
それはそれは胸が張り裂け、えぐられる様で
本当に苦しくて、悔しくて、さすがの私も
堪えきれずに泣いた。
墜ちないようにめっちゃ踏んばったんだよ😭私 エライ♪
だからこそわかる この強さ。
でも、なんでこんな許し/赦しの強さ
本質を生きることの強さに気づいたのか?
と、思った瞬間
私の中に それがあるからだ
という理解が訪れて泣いた。
それが真理だからだろう。
また映画の中でも 同じようなシーンがあって
笑った😊
だめ押しだなって(笑)
ゆっくり ダラダラなはずが
大きなエネルギーが動いた日となった。
最期まで走らせてください
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