9/28
再スタートを切るのならば、ここから初めないといけませんよね。
正直、この事が辛くて・・・ブログ恐怖症のようになってしまいました・・・
自分のブログを書くどころか、見るのも辛くて・・・見るだけで何もしたくなくなるような・・・
そんな気分でこの数ヶ月を過ごしてきました。
再スタートのきっかけを、また恩のあるminoruさんから頂きまして、昨年9月28日の事、
つまり僕の母親が亡くなった日の事を書こうかと思います。
9/28の前日、担当していた脳外科の先生からこんな事を言われました。
「もう、心肺が限界のところにきています。もって明日・・・それから、心肺蘇生もお勧めはしません」
蘇生をしたとしても、蘇生する心臓そのものが弱りきっているのでした。
原因はおそらく、放射線治療の中で偶然に起こった骨髄異常による白血球減少。
細菌に対する抵抗力が弱くなりすぎたため、体中の力までも細菌により侵されていたのです。
その話の場にいた僕の家族、そして親族全てが心肺蘇生を拒否しました。
複雑な顔をした家族、親族に明日もう一度集まるようお願いをして
私は一度家に戻った後、すぐに病院へ一人戻りました。
看護師さんに毛布を一枚だけ借りて、待合室の椅子で寝て
朝まで待機していました。
何度も心拍に変動があり、その度に看護師さんとモニターを眺める、それを朝まで繰り返しながら。
本当に一日でもいい、心臓が止まらないで欲しい、少しでも長く、長く。
もう二度と話すことが出来ないとわかっていながらも、ただ、そればかりが頭に浮かんで。
三人の看護師さんと無言でモニターを眺めながら。
夜はなんとか超えて昼近くまでになると、数名の医者や看護師さんから
「ちょっと休んだ方がいい、あなたが倒れてしまいますから」
まあ、言いたい事はすごくわかるんだけど、部屋の中のほうが大変なんだけどなぁ・・・
そんな事を考えていたところ、親父と弟が病院に到着しました。
自分が回りに迷惑かけてもしょうがないか・・・と考え、
二人に夜から朝までの状況を報告した後、一度病院を後にして
まだもつなら夜に備えるため、家で自分の準備をすることにしました。
まあ、病院にこんな汚いカッコでいてもなんだかなぁ・・・
一度着替えて、シャワー浴びて、また夜も寝れなくなるかもしれないからすっきりしておくか、
そんな事を考えながら車で家に向かいました。
家にたどり着いてすぐシャワーを浴びようと、急いで上着を脱いだところでした。
弟から僕の携帯に電話がきたのです。
「心臓が・・・とまっちゃったよ・・・」
声から思いっきり泣いてるとわかりました。
けれども、自分はそこにいないので実感が沸かず、二度ほど聞き返しました。
「もう終わったの?もうこれで終わりなの?」
弟は泣きながら、うんうん、と声を出すしかできないようでした。
そんな弟からなんとかまだ来ていない親族を聞き出して、
僕のおばあさんと一緒に連絡をし、
一度脱いだシャツをもう一度着て車に乗りました。
今まで散々愚痴を聞いてくれた、大変お世話になったブログのファンの方に
一通のメールをして車を発進させるとすぐに電話が帰ってきました。
仕事を抜け出して、わざわざ電話をしてくれたようです。
その方もすでに泣いていらして、「なんとも言えないけど・・・気をつけて行ってきてね」と
僕に何度も繰り返して言ってくれました。
僕が泣かないで病院までたどり着けたのは貴方が泣いてくれたおかげです。
できるだけ、泣かないでおこうと必死に思えました。
病院に着くと、ほとんどの親族はすでに集まっていました。
母親の妹さんに、
「ずっと一緒にいてくれてありがとね。最期に何か言ってあげてね。」と言われました。
僕は、静かに横たわっている母親に
「なんで俺が居る時には頑張って、俺が居なくなったら気を抜くのさ。
いつも俺が居る時は気を抜いてたくせに、今日だけ頑張ったのかよ。
ずいぶん頑張ったから疲れただろう。お疲れ様。」
最期に、いつものように、もう頷いてくれもしないけど、そんな事を言いました。
僕の挨拶が済んだのを見計らってか、看護師さんが声をかけてきました。
「何か荷物のお手伝いをする事はありますか?こちらで引き取れるものもあれば・・・」
そういわれたので、まだ使えるものをいくつかと、処分したい小物をお願いしました。
すると、その看護師さんは小物の中からスリッパを見つけると、
それを抱きしめて泣き出したのです。
「このスリッパは思いいれがあって・・・また歩けるようになったらいいね、
ってずっと話してて・・・いつかまた、使えたらって思ってて・・・」
その看護師さんの名前は覚えていませんでしたが、顔はよく覚えていました。
いつも笑顔で、検査結果を聞くといつも素早く答えてくれた方でした。
看護師さんは担当が日替わりだったのですが、
その方が担当のときは随分頼りにさせてもらっていました。
ほんと僕は失礼でしたね。こんなによくしてくれたのに、名前も覚えてないなんて・・・
泣かないでおこうと決めてたのに、頑張ったのに、最期でもらい泣きしちゃいましたよ。
ごめんねぇ、ちょっと頑張りが足らなかった。頑張ってくれたのにね。
最期に一緒に帰るのは親父に任せ、僕と弟は家の準備をするために先に戻りました。
それからは親族と家での準備、近所の人への連絡、葬儀の準備・・・
何も考える暇もないぐらいに動き回って、家に母親を含めた家族だけになったころ
ようやく眠る事ができました。まる二日、同じ服のまま。
翌朝、夢を見て、がばっ!と起きました。
何を寝ぼけていたのか僕は、こう思ったのです。
「はやく病院にいかなきゃ!」と。
何を考えてたのでしょうかね。もう母親は家にいるのに。
僕は二日間着ていた服を脱ぎ、シャワーを浴びてから着替え、
母親の傍に行き、話しかけました。
「いままでほんとごめんね、何も親孝行できなくて。
美味しいもの一杯食べたかったね。本当にごめんね。」
今度は二人きりの時、僕だけで泣かせてもらいました。
月命日は、一年は必ず行くよ。
必ず会いに行くからね。
離れてても、貴方は僕の母親だからね。
今まで本当にごめん。今まで本当にありがとう。
正直、この事が辛くて・・・ブログ恐怖症のようになってしまいました・・・
自分のブログを書くどころか、見るのも辛くて・・・見るだけで何もしたくなくなるような・・・
そんな気分でこの数ヶ月を過ごしてきました。
再スタートのきっかけを、また恩のあるminoruさんから頂きまして、昨年9月28日の事、
つまり僕の母親が亡くなった日の事を書こうかと思います。
9/28の前日、担当していた脳外科の先生からこんな事を言われました。
「もう、心肺が限界のところにきています。もって明日・・・それから、心肺蘇生もお勧めはしません」
蘇生をしたとしても、蘇生する心臓そのものが弱りきっているのでした。
原因はおそらく、放射線治療の中で偶然に起こった骨髄異常による白血球減少。
細菌に対する抵抗力が弱くなりすぎたため、体中の力までも細菌により侵されていたのです。
その話の場にいた僕の家族、そして親族全てが心肺蘇生を拒否しました。
複雑な顔をした家族、親族に明日もう一度集まるようお願いをして
私は一度家に戻った後、すぐに病院へ一人戻りました。
看護師さんに毛布を一枚だけ借りて、待合室の椅子で寝て
朝まで待機していました。
何度も心拍に変動があり、その度に看護師さんとモニターを眺める、それを朝まで繰り返しながら。
本当に一日でもいい、心臓が止まらないで欲しい、少しでも長く、長く。
もう二度と話すことが出来ないとわかっていながらも、ただ、そればかりが頭に浮かんで。
三人の看護師さんと無言でモニターを眺めながら。
夜はなんとか超えて昼近くまでになると、数名の医者や看護師さんから
「ちょっと休んだ方がいい、あなたが倒れてしまいますから」
まあ、言いたい事はすごくわかるんだけど、部屋の中のほうが大変なんだけどなぁ・・・
そんな事を考えていたところ、親父と弟が病院に到着しました。
自分が回りに迷惑かけてもしょうがないか・・・と考え、
二人に夜から朝までの状況を報告した後、一度病院を後にして
まだもつなら夜に備えるため、家で自分の準備をすることにしました。
まあ、病院にこんな汚いカッコでいてもなんだかなぁ・・・
一度着替えて、シャワー浴びて、また夜も寝れなくなるかもしれないからすっきりしておくか、
そんな事を考えながら車で家に向かいました。
家にたどり着いてすぐシャワーを浴びようと、急いで上着を脱いだところでした。
弟から僕の携帯に電話がきたのです。
「心臓が・・・とまっちゃったよ・・・」
声から思いっきり泣いてるとわかりました。
けれども、自分はそこにいないので実感が沸かず、二度ほど聞き返しました。
「もう終わったの?もうこれで終わりなの?」
弟は泣きながら、うんうん、と声を出すしかできないようでした。
そんな弟からなんとかまだ来ていない親族を聞き出して、
僕のおばあさんと一緒に連絡をし、
一度脱いだシャツをもう一度着て車に乗りました。
今まで散々愚痴を聞いてくれた、大変お世話になったブログのファンの方に
一通のメールをして車を発進させるとすぐに電話が帰ってきました。
仕事を抜け出して、わざわざ電話をしてくれたようです。
その方もすでに泣いていらして、「なんとも言えないけど・・・気をつけて行ってきてね」と
僕に何度も繰り返して言ってくれました。
僕が泣かないで病院までたどり着けたのは貴方が泣いてくれたおかげです。
できるだけ、泣かないでおこうと必死に思えました。
病院に着くと、ほとんどの親族はすでに集まっていました。
母親の妹さんに、
「ずっと一緒にいてくれてありがとね。最期に何か言ってあげてね。」と言われました。
僕は、静かに横たわっている母親に
「なんで俺が居る時には頑張って、俺が居なくなったら気を抜くのさ。
いつも俺が居る時は気を抜いてたくせに、今日だけ頑張ったのかよ。
ずいぶん頑張ったから疲れただろう。お疲れ様。」
最期に、いつものように、もう頷いてくれもしないけど、そんな事を言いました。
僕の挨拶が済んだのを見計らってか、看護師さんが声をかけてきました。
「何か荷物のお手伝いをする事はありますか?こちらで引き取れるものもあれば・・・」
そういわれたので、まだ使えるものをいくつかと、処分したい小物をお願いしました。
すると、その看護師さんは小物の中からスリッパを見つけると、
それを抱きしめて泣き出したのです。
「このスリッパは思いいれがあって・・・また歩けるようになったらいいね、
ってずっと話してて・・・いつかまた、使えたらって思ってて・・・」
その看護師さんの名前は覚えていませんでしたが、顔はよく覚えていました。
いつも笑顔で、検査結果を聞くといつも素早く答えてくれた方でした。
看護師さんは担当が日替わりだったのですが、
その方が担当のときは随分頼りにさせてもらっていました。
ほんと僕は失礼でしたね。こんなによくしてくれたのに、名前も覚えてないなんて・・・
泣かないでおこうと決めてたのに、頑張ったのに、最期でもらい泣きしちゃいましたよ。
ごめんねぇ、ちょっと頑張りが足らなかった。頑張ってくれたのにね。
最期に一緒に帰るのは親父に任せ、僕と弟は家の準備をするために先に戻りました。
それからは親族と家での準備、近所の人への連絡、葬儀の準備・・・
何も考える暇もないぐらいに動き回って、家に母親を含めた家族だけになったころ
ようやく眠る事ができました。まる二日、同じ服のまま。
翌朝、夢を見て、がばっ!と起きました。
何を寝ぼけていたのか僕は、こう思ったのです。
「はやく病院にいかなきゃ!」と。
何を考えてたのでしょうかね。もう母親は家にいるのに。
僕は二日間着ていた服を脱ぎ、シャワーを浴びてから着替え、
母親の傍に行き、話しかけました。
「いままでほんとごめんね、何も親孝行できなくて。
美味しいもの一杯食べたかったね。本当にごめんね。」
今度は二人きりの時、僕だけで泣かせてもらいました。
月命日は、一年は必ず行くよ。
必ず会いに行くからね。
離れてても、貴方は僕の母親だからね。
今まで本当にごめん。今まで本当にありがとう。