誰もが表現者である❤️
表現というものが
表面的にしか語られなかったり、
だから、表面的にしか理解されてない
世界を変えたいなって思いました。
(tiktokライブで楽しんでまーす)
14年前
ボイトレ教室を始めた時に
書いた文章があります。
振り返るたびに思うのは
結局ずっと私の思いは変わっておらず、
誰もが自由に、
性命の歓びとして表現していくことが
当たり前の世界になったらいいと思ってるということ。
それは、私が
表現したいという気持ちがありながら、
誰かと比べたりして、いつも落ち込み自由に表現できず
反応が得られないと(ゼロじゃないのに)
どうせ私の表現なんてとまた落ち込み
才能なんてない
どうせやっても無駄
もっとうまくないと
もっとうけないと
そうやってどんどん表現ができなくなっていたし
美術大学にいた頃も
コンセプトは?といつも聞かれ
そんなのわかんない、
ただやりたい
それが表現の世界では許されないのか?と感じ
じゃあ、私はそういう世界では生きていけないんだな
そう思っていました。
(この時点で、こんなふうに思ってしまう、そもそもコンセプトが自分で
表現できないのも、表現の教育が日本は遅れてるからなのよね)
でも、表現したいという気持ちは
いつもどこかにあって、
それにいつも困っていた。
諦めないさいよ、
そんなことより
仕事しなよ
稼ぎなよ
子供育てなよ
大人しくしてなよ
そんな声が頭をよぎっていました。
お金にならないなら
仕事にならないなら
やっても仕方ない。
そういうのもすんごく本当は悲しいなって思いながら
自分が一番そうやって自分に言っていました。
だから、表現したいなんていう
そんな気持ち、
湧き上がらないで欲しかった。
もう諦めてよって。
湧き上がってなんてこないでよ
(これ完全に女性性否定ですねーーーーー😭)
そんな自分がいつつも
奥にある思いを書いたのが14年前。
ここから14年前に書いた文章。
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私は、自分の思いを表現したいという気持ちは
人間にとってプリミティブ(本能的)な事だと思います。
表現とは様々です。
それはもしかしたら、
奇跡のリンゴを作る事かもしれない、
コーヒーのいれ方を追求する事かもしれない、
美味しい焼き菓子を創る事かもしれない、
好きな服をきる事かもしれない、
細胞の研究かもしれない、
徹底した家事かもしれない、
会社を作り雇用を生むことかもしれない
(ここまで)
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心が惹かれたこと、心動くこと
やりたいことをやる
したいことをするということがもはや表現なのです。
そうして生きるということが表現なのです。
表現て
どうしても
みんなもっと大袈裟なものだったり
上手にしないといけないものだったり
特別な才能がないとだめ
そう思っちゃいがち。
本当に本当にそんなことない。
うちなる欲求を叶えてあげることが
表現すること。
そしてそれを叶えてあげることが
人生において
魂ちゃんが最も幸せと感じることだと私は思っています。
でも、表現に対して、
たくさんの勘違いや
思い込みがみんなの中にあるって
感じてきました。
表現したいという気持ちがあるけど
どうしていいかわからない。
こんなレベルでやっていいのか?
自分なんかがやっていいの?
表現とお金を稼ぐこと
私のように
結果や成果にとらわれて
気持ちよく表現できない
ぷろw
真面目に真剣にやればやるほど
苦しくなる
そして、表現者じゃなくたって
日常の会話も表現です。
だから表現について理解していくことは
人生を根底から幸せなものにしていくことです。
表現を特別なものにしておきたくないな。
誰もが表現者。
そんなの当たり前なんです。
なんならその才能をさらに磨き上げることで、
お金を稼ぐことだって本当にできる。
天才性覚醒アートマインドプログラムは
特別な人のためではなく
特別になりたかった人
特別になったけど、苦しいまんまの人
ただただ表現したいという気持ちに素直になれず
閉じ込めてきた人たちに知って欲しいプログラムです。
もうね、
こうやって文章で語れることなんて僅か。
知って欲しい、
体験して欲しい
そう生きていけば
この表現することの至福感わかります。
天才性覚醒アートマインドプログラム
9月18日(水)
キックオフスタート
9月25日から
4ヶ月のプログラム
募集開始は9月8日です。
