続・爆笑問題「お笑い」の技法 | 真面目に脱線話@リンガランド英語塾

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前回、太田光さんのお笑いを、空気を乱すノイズだと分析し、相方の田中裕二さんの全力のリスク回避によってぎりぎりで成立しつづけていると述べた。



ここで興味深いのは、そういった嫌われるリスクを冒し続けている太田さんが、決してテレビから消えることがないことだ。



いくら芸人として突出した実力があるとは言え、段取りを無視するかのごとく場をかき乱すような太田さんが、長年にわたってテレビ番組でメインとして第一線で起用されているという事実は、かなり希有なことに感じる。



では、どこにその秘密があるのか。最近、次のような出来事があったので、そこから考えたい。



私はリアルタイムで見ていないのだが(あと報道で知った)、爆笑問題が司会をやっているとある番組で、当時、母親の生活保護受給で「干された」状態にあった河本準一さんが出演した。



河本さんの生活保護問題は、一部の政治家も言及するほど大きな議論になり、河本さんはまさに日本中からバッシングされるような状態だった。テレビ出演自体にすら批判がある中で、そのことに触れるのはもちろんタブーだ。



ところが、太田さんは河本さんに対して、「おまえに食わせるタンメンはねえ」というギャグをもじって、「おまえに渡す生活保護はねえ」と言い放つのである。そのあと河本さんの顔は引きつり、「涙目」になっていたと報じられた。太田さんの言動に対しては絶賛から批判までさまざまな反応があったようだ。



いずれにせよ、これこそが太田光という芸人が最も力を発揮する「場を支配する空気を乱すノイズ」である。





この場面だけを切り取れば、「大きな問題を抱える河本さんを、眼前で傷つけたとんでもない行為」と見えるだろう。だが、もっと俯瞰すれば(=<メタ>空気を読めば)、「何もそこまで言うことはないだろ!」と思わせることで、多くの視聴者に認知されながらその場ではタブー化されている重荷から、河本さんを解放している部分もある。



当時の河本さんは芸人として致命傷になりかねない「笑い事でない爆弾」を抱えたまま、視聴者がそれを気にしなくなるまでテレビに出続けなければならなかった。太田さんは、彼一流の手法でそれを眼前で爆発させることで、少なくとも「笑える」のほうに持っていこうとした。それが功を奏したかどうかはわからないが、現在の河本さんはそれなりに出演番組に恵まれている。



また、そのあとのことは書いてなかったのでわからないが、おそらく田中さんが「太田光の人間的欠陥」を全力で指摘して、「ろくでもない発言」のレベルまで引き下げて、場を凍らせたままにするという状態を回避したことだろう。



太田さんのこういった「過激な」言動は、実は1つの計算であり、彼なりの温かさに裏打ちされている。しかも、その行動から生じるかもしれない批判や軽蔑などをすべて引き受けるつもりの上である。



だから、好感度を上げる意図で演出される空虚なやさしさなどみじんもない。文字どおり全力でぶつかっている。



そこまでを見切った視聴者には、太田光という芸人は言いようもなく魅力的に映るだろう。いや、たとえそれが見抜けなかったとしても、反発はしながらも、「あの太田光」にしかできない業(わざ)だと認識するはずだ。




太田さんはおそらくそうやってトップであり続けている。



反面、太田さんには、彼の権威に対する批判はかなり過激でしかもしつこい印象もある。




たとえば、太田さんは村上春樹さんの小説を辛辣に批判する。私もラジオでいちど耳にしたことがあるのだが、そこでは(私なりの解釈では)、村上作品の「空虚さ」を小説としてレベルの低いものとして批判した(同様の批判は文芸評論家の江藤淳氏がやっている)。



ただ、村上春樹はその空虚さ(≒透明感)ゆえに世界中で愛されている作家である。読みやすい翻訳調の文体と感情の起伏のないドライな登場人物たちが、日本・日本語というウエットな文脈を遮断し、何語で翻訳されようとも多くの人が一定の共感を持てる普遍性を備えている。



太田さんの村上作品への批判は、文学ではないものを文学作品として愛することがおかしいということだ。結局は、攻撃対象は読者(≒ハルキスト)である。



一連の批判が意図しているのは、漱石から連なる日本文学(彼の場合はとくに向田邦子だろう)を基準としたときの空虚さなのだろう。



村上春樹などのエスタブリッシュメントに対するこういった批判は、おそらく「すべての人は、その能力を公正に評価されなければならない」という信念から生まれたものではないか。



今や世界的作家である村上春樹も、あるいは社会的に「干された」河本準一も、評価や批判が「行きすぎている」という点では彼にとっては同じである。太田さんの「毒舌」の多くが、対象を「現在の場」から本来あるべきところに全力で引き戻そうとすることではないか。



その行動の核には本来あるべき評価に向かわせようという強い意志があるというのが私の考えである。だから、世間で過小評価されているものを全力で評価し、自分の力で広めようとすらする。そこに損得の概念などみじんもない。





太田さんの攻撃対象はもう1つある。それは「父権」である。



たとえば、「笑っていいとも!」の最終回シリーズに安倍晋三首相が出たことについて、太田さんは再三不満を述べている。それは本来は(あるいはイメージとして)反権力的であるべきバラエティ番組の代表である「いいとも!」に、権力そのものが盛り上げ役として登場したためだろう。



太田さんは政治への発言がかなり多い芸人である。安倍首相への不信感は、安倍首相が国を守る手段として平和憲法と対極にある防衛力(=武力)を使おうとしていることへ不信があるように感じる。



その点、太田さんは徹底しており、集団的自衛権に対してデモをすることに対しても批判を述べている。デモは本質的に人数という武器で人を威圧するものである。かつて安保闘争で力に力で対抗した結果、何も変わらなかった。力という父権に対抗するのは、母性でなければならないという思想が透けて見える。



人は父性によってけじめ(=自分に対する厳しさ)を、母性によって優しさをはぐくむ。父性は叱り母性は許す。父性は成長を促し、母性は癒しを与える。子供はその繰り返しの中で社会生活に必要なけじめと優しさを身につける。



父性の「叱る」という行為を成立させるのは恐れである。相手が怖いからこそ「叱る」が成立し、いやいやながら相手の言うことを聞く。それを社会的に演出したものが父権である。父権とは有形無形の力によって人の集まりに秩序を与える装置である。



だから、太田さんの行動原理に2つの面がある。1つは母性的なおせっかい者の正義感、もう1つは父権的なものへの嫌悪、すなわち威圧や力によって人を動かすものを徹底的に嫌い否定することである。



太田光の「お笑い」の技法とは、人を知らぬ間に抑制するような力を、おせっかい焼きのおばさんが茶々を入れるように正論で排除するという方法だと思う。その根底には母性への信頼がある。



太田光さんも一見するとたけしさんと同じスタンスに見えるが、私から見るとかなり異質だと感じる。たけしさんは父権を肯定し、そのスタンスから「生半可なやさしさ」を嫌う。太田さんは父権を徹底的に嫌い、暴力的なほどに突き詰めたやさしさを追求する。どちらも偽物を嫌うが、何を偽物と感じるかに違いがある。





母親が亡くなったときに、たけしさんは人目もはばからず「かあちゃん!」と言いながら泣き崩れた。どちらも既存秩序の破壊者でありながら、たけしさんは古風な日本人的価値や、合理主義に流れない情緒を重視する。「母」を絶対視しているものの、それは単なる母性の肯定ではない。そこにある「母」は伝統的で古風であり、「ダメ親父」に対する厳しさの象徴である。



前回、「ギャグ」について定義づけた。ギャグとは文脈で生きる「裏切り」の部分だけを取り出して、固定化・洗練化したものである。たけしさんには「ビートたけし的文脈」「ビートたけし的世界」というものがあり、場をそこに持ち込めたときに得意のギャグが生きる。これは、自分を特権化する文脈を強引に整えるという父権的なお笑いの技法である。




太田さんはあまりギャグが得意でない。そもそもルールや空気を打ち破るスタイルなので、ギャグに必要な「太田的文脈」というものが上手に作り出せない。その場を支配するルールや空気を打ち破るには、その場に適した言葉が必要であって、これはギャグとは対極なところにある。だから太田さんは繰り返し消費できる便利な言葉を所有しにくいのである。



「爆笑問題でいること」は相当にしんどく、それをあえてやりたがる人はあまりにないのだろう。それは太田さんの「体質」だからできるのであり、それを技法として意識的にやるのは不可能なのかもしれない。



爆笑問題はすべてを含み、でも何にも似ていない唯一無二の小宇宙である。好き嫌いはあるだろうが、「空気」に支配された日本社会には爆笑問題が必要だと私は思う。








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