「オークランドのみなさん、こんにちは。私は中島裕之です。ヒロと呼んでください」
オークランド・アスレチックスの会見場で中島がそう言うと、会場がどよめいた。2012年12月19日、埼玉西武ライオンズの中島裕之が、大リーガーのHiroyuki Nakajimaになった瞬間である。
会場がどよめいたのは、Please call me Hiro.(ヒロと呼んでください)が、Please call me Hero.(ヒーローと呼んでください)と聞こえたからだ。中島のinfectiousな(感染しそうな)笑顔に記者も思わず笑みをこぼす。
ミスターライオンズの中島は、今や押しも押されもしないパリーグを代表する内野手であるが、入団当初からファンのあいだでそれほど期待されていたわけではなかった。
前年のドラフト指名を受けて入団したのは2000年のことだ。
このときのライオンズのドラフトはファンのあいだで伝説になっている。その全員を見てみよう。
1位 大沼 幸二
2位 三井 浩二
3位 帆足 和幸
4位 佐藤 友亮
5位 中島 裕之
6位 野田 浩輔
7位 水田 圭介
8位 福井 強
この中で全国区の有名選手と言えたのは、系列のプリンスホテルで事実上かこっていた1位の大沼投手だけで、あとはスカウトのあいだではともかく、全国的にはどちらかというと無名選手ばかりである。
ライオンズは「目玉」と呼ばれた有名選手たちをことごとく無視して多くのファンが落胆した。
ところが、その落胆に反発するかのごとく、彼らの多くが大活躍していく。
3位の帆足投手は「ライオンズの左のエース」と呼ばれ連続二桁をあげ、和田と杉内という二大左腕を失ったホークスにFAで移籍した。
2位の三井投手も左腕で二桁を稼ぎ出し、その後中継ぎエースとなる。
4位の佐藤外野手は慶応大に一般入試で入り銀行に内定が決まっていたという噂もあった変わり種であるが、1年目から大活躍し、2004年には切り込み隊長として日本一に貢献する。
6位の野田捕手は細川とレギュラーを争い続けた。
この年のライオンズのドラフトは、目玉と呼ばれた選手たちをことごとく無視してファンを落胆させたのに反して、実際には「大当たり」のドラフトだったのである。このとき指名はいまだに語りぐさである。
その中でも、のちに出色の活躍をするのが5位の中島裕之だ。
打者に関しては屈指の目利きという評価があった関西担当の某スカウトが最も目をかけて、驚きの指名に至った。
中島は兵庫県の伊丹北高校の出身である。
伊丹北は野球では無名高で、むしろ中島を生んだ学校として有名な程度である。もともとは野球の名門である報徳学園高校を希望していたが、報徳の野球部には評価してもらえず合格できなかった。
中島は投手で140キロ台のストレートを投げていたが、最初から投手としてではなく打者として評価された。
当時のスカウトやコーチは彼をこのように評した。「打者の能力として遠くに飛ばすことはのちの練習ではどうしようもできない。これだけは才能である。中島にはそういった意味での天賦の才があった」
プロ野球でドラフトにかかる高校生野手はほんのわずかだ。まずは即戦力投手、次に将来性のある投手、その次が捕手を筆頭とする即戦力野手、最後が将来性のある野手である。とくに高校生野手が即戦力にあることはほとんどないために、高校生野手はとったとしてもぜいぜい球団で1人がいいところだろう。
しかも、中島の場合、効率的な練習は望めない無名高出身であり、ポジションの投手だった。たとえ打者としての才能が開花したとしても相当の時間がかかるのは明らかである。それでもライオンズはリスクを冒して中島をとりにいった。それだけその才能に惚れ込んでいたからだ。
伊丹北高校は練習環境に恵まれなかったが、それがあとで中島を大きく飛躍させる土台を作ることになる。
それはグランドのレフト側に建物があり、バッティング練習で引っ張ると中島の打力では建物に直撃してしまうことである。仕方がないので、ライト側に流す打ち方を中心に練習した。
野球が好きな方はご存じだろうが、流し打ちでホームランをコンスタントに打てる打者は貴重である。とくに現在の低反発な統一球になってからは顕著で、流し打ちが得意な打者ほど、統一球になって長打を打てなくなる。
そんな中で中島は流し打ちで長打を量産できる希な打者である。
ライオンズにはその能力を持った打者がかつて1人いた。しかもとびっきりの大打者である。そう、言うまでもないだろう。PL学園高校からライオンズに入団した清原和博だ。
続きます。


