お話はロシアから始まる。モスクワにある「ボリショイ交響楽団」で清掃夫をやっている主人公は、30年前に天才指揮者と言われた男である。
80年代ブレジネフ政権下のソ連では多くのユダヤ人が強制連行されたが、楽団に天才的なユダヤ人女性の演奏者をかかえていた主人公は、それに反対し、結局、コンサート途中で解雇されるという屈辱を味わわされ、ユダヤ人演奏者もシベリア送りになる(ここが物語の伏線となる)。
それから30年、主人公はボリショイの指揮者に復帰することを目指し、今も劇場の清掃夫として働いている。そんなある日、ひとりで経営者の部屋を掃除中にパリのシャトレ座からの出演依頼がファックスで送られてくるのに遭遇する。
主人公はこのファックスを横取りし、自分でオーケストラを結成し、パリで演奏しようと思い立つ。かつての仲閒に声をかけ楽団を編成しようとするが、なかなか思いどおりにいかず、やっと集めたはいいがあまり個性的な集団で主人公ももてあまし、せっかく招いた天才的な美人ソリストもあきれ・・・といった内容である。
この映画は共産主義とユダヤ人差別を失脚した天才指揮者の目線から描いたもので、本来なら相当重たくなるところだが、信じられないほど軽く爽快な映画に仕上がっている。
そこで描かれるロシア人たちの奔放さは、海外旅行などでロシア人旅行者に出会ったことがあるひとなら、おそらく「あるある!」と納得できるはず。明るく下品で、統制のとれないロシア人が次々と出てきて、笑いながら「この主人公が日本人なら発狂するだろうな」とかんじてしまった。
かたや、フランス人の描き方も辛辣で、パリでの演奏前に出てくる音楽評論家の描き方など、監督も映画評論でいろいろやられたことがうかがえた。フランスで物を作るというのは、けっこう大変なことなのだろうと感じさせる。
あまり書くとこれから見るかもしれないひとに申し訳ないので、内容評はこれくらいにする。
とにもかくにも、この監督の重いテーマをこれだけ軽く描ける力量はたいしたものだ。約2時間の上映だが、長さを感じさせずあっというまだった。
音楽のシーンではときおり過去の映像がごく断片的に挿入されるのだが、これがうまくはまっていて、チャイコフスキーの音にうまく重厚さを加えている。音楽の編曲もみごとで、クラッシック・ファンはもちろん、そうでないひとも飽きずに聴けるはずだ。最後のチャイコフスキー演奏シーンだけで入場料を払う価値がある。
芸術性と娯楽性を兼ね備えた佳作で、海外ではあのマイケル・ジャクソンの映画を抜いたということで話題になった。残念ながら、日本ではさほど話題になっていないようだ。たぶん、多くのヨーロッパ人たちが、この映画に切実に泣き笑いしてることだろう。
