私ははるか昔(30年前)にアメリカの大学院を受験したわけですが、今考えてもどうして当時の私が受かったのか理解できません。
まずエッセイ(小作文)ですが、どう考えても今の高校生の娘の作文力より弱く内容も乏しいものでした。
 
私はかれこれ20年近く自分が教えている大学生が大学院を受験するときのエッセイを読んでいます。推薦状を頼まれた時に応募に必要なSOP(Statement of Purpose -志望動機)の草案を見せてもらっています。私が勤めている大学は全米でもトップレベルで大学院を目指す学生はその中でも優秀な人たちなので、それはそれは素晴らしいエッセイを書いています。そういうエッセイを読み続けていると自分も「今、もう一度 大学院を目指すならもっといい文が書けたのに」と思っていました。
 
娘は今年大学受験をするので、いろいろな大学のエッセイの課題を見て準備を始めようとしています。中学受験の時と違って自分で準備して何度も推敲を重ね提出できるので、事前練習は「内容重視」となります。中学受験の時は試験会場で課題を見てその場で手書きで書くというものでした。過去問を見ながら何度も一緒に練習しましたが、試験当日には自分なりにアレンジを加えて正直に自分の気持ちを書いたと言っていました。私は実際に提出したエッセイ(小作文)を見てはいないのですが、読んだ中学の先生が「他の受験生と違って、とても伸び伸びした正直な意見だった」とあとからコメントしてくれたのでよかったんだと思います。
 
今ではAIがなんでもやってくれる時代になってしまって、いかにオリジナリティを出すかが求められていますが、ずっと書くことが好きな娘はきっと「結果重視」ではなく本当に書きたいことを書くのだと思います。アメリカの大学も「記念受験」すると言っているのでどんなことを書くのか楽しみです。

 

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