「言語を教えること」 つまり
いつ
どこで
だれが
だれに
なに(何語)を
どのように
教えるかについて、私の考えを書いています。

 

昨日、日本の早期英語教育は「習い事」の一つと捉えていいのではという記事を書きました。

 

それは小さい頃から、いかにも「お勉強」という気持ちにさせず「できたら楽しい」とか「やっていて楽しい」ものとして子供が習ってくれたらいいという気持ちからです。

 

そして小さいうちは、お母さんや家の人が、ピアノやスポーツを教えられるようにおうちで英語を教えられる人がいてもいいと思います。自分の子供に何かを教えるのに資格なんていらないし、どうやって教えてもいいと思うのですが、敢えて「どうやって教えたらいいかしら」「私にもできるかしら」と相談されたら「お子さんが楽しんでたらいいと思いますよ」と言うようにしています。

 

個人的には小さい頃からフォニックスを教え込んだり、字を書かせたりするのは好きではありませんし、自分の子供にはさせませんでしたが、そういうことが好きなお子さんだっていると思います。

 

私の家の「食堂」と呼ばれていた部屋には壁一面に世界地図と国旗のポスターが長いこと貼ってありました。私はなぜか国旗と国名を全然覚えられませんでしたが、うちに遊びに来たいとこが1日で全部覚えて、親戚中に褒め称えられていました。

 

私は幼心に「何かを覚えると大人に褒められるんだ」と思い、何かを覚えると必死に母に「これ、覚えたんだ」と言うようになったんですが、今、考えると私は「大人に褒められたい」という気持ちが強かったので学習も苦ではなかったのだと思います。

 

まずは親子の信頼関係とか、子供が親の喜ぶ顔を見たいと思うような人間関係を作って、子供に習ってほしいことを教え、できたら喜んであげたら、それが一番の教授法だと思います。

 

 

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