私の子育てと自分がされてきた子育てを比べ、Susan ForwardのToxic Parentsを引用しながら 今思っていることを 書いていきます。

 

私は言語教育者で、今までに多くのお子さんの「二言語習得」(バイリンガル発達)を見てきました。もうすぐ15歳になる娘の「バイリンガル子育て」に関しては以下のテーマをご覧ください。

 

 

 

 

自分を支配していた親が他界した後
どこの国でも宗教でも「死者に敬意を表す」考えがあると思います。
自分が親に迷惑をかけていたとか、親に「お前はダメな子だ」と言われていた子供の親が亡くなった後に、子供が「自分が悪い子だったために親が死んでしまったのではないか」と自分を責めてしまうこともあるようです。
またそういった親子関係が変わらないままに親が亡くなった場合、子供は親の支配や価値観の押しつけから解放されないこともあるようです。
『Toxic Parents』の第1章の中には「亡くなった親を悪く言ったり、親の子育てを否定することはタブーだと信じ込み、いつまでも自分がされたことから逃れられない人」の例が載っていました。
例え、他界した人を悪くいうことはタブーであっても、自分がされてきた子育てを冷静に客観的に見ることは「死者(親)に敬意を表さない」ことにはならないと言っています。

私に当てはまること

私の場合は、親子関係が逆転しない(つまり子供である私が親の介護を経験しない)うちに両親がなくなってしまいました。だから私が両親の子育てを否定できないというわけではなく、私がしてもらって嬉しかったことだけを子供にしてあげられたらいいなと思っているだけです。また自分がされて嫌だったことはなるべくしないようにしたいと思っています。

 

私が幼稚園か小学校一年生の頃、赤ちゃんを抱っこしている男性を電車の中で見ました。母が「赤ちゃんに背広のボタンがぶつかったらかわいそうだから、あなたに赤ちゃんができたら自分で抱っこするのよ。」と言ったことがありました。すごく印象的な言葉だったので未だに覚えています。娘が赤ちゃんだった頃、私は仕事をしていてスーツを着たまま娘をデイケアに迎えに行かなければならないこともありました。しっかりした抱っこ紐を車の中に入れていて、そこにすっぽり包んで連れて帰ったり、カーシートを持って行ってそこに乗せて車まで運んだりしました。割と他のお母さんも同じ方法を取っていたので「ボタンがついた硬い服で抱っこしない」というのは常識だったのかもしれませんが、母が生きていたら、そういうちょっとした知恵を子育て中に教えてもらえたのに、と思うことがよくありました。

 

自分の記憶の中だけではこのような「強烈に覚えていること」は案外少なかったり役に立たなかったりするものです。

 

 

 

 

 

 

 

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