別荘の存在
母は早々と家を2階建てにして2階の数部屋を下宿屋にしていました。また家の敷地に貸家もありました。そして非常に倹約家だったのでその資金を使って、私が小学校の時に初めて「別荘」を建てました。
別荘の存在は近所の人には絶対に言ってはいけないと言われ、私は大学に入るまで自分の友達に別荘の話をしませんでした。母はこの別荘は自分の家で祖母が来ないのでのびのびできていいと話していました。この家の登記は母がして持ち主は母になっていたのですが、父はそれがあまり嬉しくなかったのかもしれません。
この別荘は私が大学に入った頃から、ほとんど両親は行かなくなりました。いろいろな意味で不便だったので、同居していた祖母がいなくなってからは母にとって別荘はあまり魅力のある場所ではなくなったのだと思います。
自己分析
自分の記憶に残っている生家は古くて住みにくい家だった。無駄に広い空間(応接間や長い廊下など)は子供にとってはまったく必要のない魅力がないものだったし、日本庭園のような庭も手入れがかかり、扱いにくい場所だったと思う。さらに「別荘」として建てられた家は、電話やテレビがなくお風呂も薪で炊く家だった。両親はそういう文明から離れた環境の家に憧れていたというわけではなく、単に必要性を感じなかったので省いたという感じだった。私はそうまでして東京から離れた場所に家を建て、そこで休暇を過ごすことの価値がいまだにわからない。
何かを得るために今の生活を犠牲にするということ、つまり「我慢」や「節約」はかなり綿密な計画のもとにおこなわれないと、なんのための人生かがわからなくなってしまうと思います。明治時代からの古い家をうまく再生利用して住みやすくすることは昭和の時代には、すべて取り壊して立て直すよりたいへんなことだったと思います。私の生家は、南側にあった大きい庭も隣の人が塀ギリギリに家を建ててしまってからは 南に面した縁側にかすかな陽が当たるくらいになってしまいました。まだ容積率とか建ぺい率とかが東京都内でも、それほどうるさくなかった時でした。
道路側に面した貸家の人の立退の問題などで両親はかなりのストレスがありました。そんな私の体験から、私は不動産を持つことになんの魅力も感じないようになりました。