アメリカの大学院で教育を学び始めた時、一番衝撃を受けたのが、日本では当然のようになされていた「インクルーシブ教育」がアメリカでは特別のことのように思われていたことです。
インクルーシブ教育は今では、日本でもキーワードになっていますが、これはまさに50年くらい前の日本では当たり前のようになされていた教育です。
日本は小中学校が義務教育なので、義務教育中はレベルや能力別のクラス編成やクラス内で生徒が能力別に違うことを学ぶ形式は好まれませんでした。これをすることにより、教員の配置も難しくなり、レベルを決定するための試験の実施など管理側の負担が大きくなるからです。
少子化で子供の数が減少し、経済が安定し、親が子供の教育に気を配る時間が多くなった日本では義務教育前の幼児教育、また義務教育の場の選択(小中受験)に親の関心が高まるようになりました。
人の関心が集まり、ビジネスが成り立つ分野には教育以外の職種が進出してきます。以前から教育を専門としていたビジネスも「より人が集まり、お金が入ってくる」ものを作り、売り出そうとします。
日本はもともと多様性がある子供を一つの場に集めて、一斉に授業をおこなう究極のインクルーシブ教育がうまく回っていたのに、それでは満足しない親が義務教育内での「格差」を生み出してしまいました。
そのうえ、実際には日本の方が進んでいて、アメリカの方が遅れていた教育方針やアクティブラーニングも「アメリカを見習え」という50年前の発想を持つ人々の意見から現場の先生方が振り回されているように感じます。
これから数回に分けて、就学前の幼児教育と義務教育と受験について私の考えを書いていきます。