二学期が始まる前、

テレビに盛んに「いじめ・不登校・自殺」の話が流れていた。

 

私は自分の子供がいじめられたらどうしようと思った。

 

 

いじめられて、死んでしまったらどうしようと心配になった。

 

 

 

仲間はずれにされて、

一人ぼっちで、

 

学校にいけなくなったら。

 

 

 

私のようなつらい思いをさせるのは嫌だ。

 

 

 

 

私みたいに悲しい思いをするのは嫌だった。

 

 

 

 

 

 

 

私は高校3年生のとき不登校だった。

 

 

 

 

 

子供が異常に心配になるのは

 

私がまだ癒えていないからだ。

 

 

 

 

 

高校の頃に味わった、

 

悪口や

 

偏見や

 

仲間はずれを

 

どこか

 

 

仕方がないもの、

 

 

として見ないようにして

 

感じないようにしていたからだ。

 

 

 

 

 

私は悪口が嫌いだ。

 

悪口で喜ぶタイプの女が嫌い。

 

 

 

人の不幸を喜ぶ女が大嫌いだ。

 

 

 

 

 

いつもそこで止まってたけど、

 

子どもたちのことを考えているうちに、

 

 

なんとなく、

 

 

もう、いいや。

 

 

 

となった。

 

 

 

 

 

 

悪口、私が今まで生きていて言わなかったことなんてもちろんない。

 

私は聖人君子ではないし、

 

人並みに怒ったり悲しんだり愚痴ったりする。

 

 

でも、それで喜ぶなんて、

という意識がどこかにあった。

 

 

 

 

けれど、この前

 

 

「嫌い」という感情は

 

「愉快」という感情と

 

振動が同じだということに気がついて、

 

 

 

そこから悪口の意識がガラリと変わった。

 

 

 

 

 

悪口は「楽しい」ものなのだ。

 

ある人にとっては。

 

 

 

「愉快」と振動数が一緒だから。

 

 

「悪口」を言っているとどんどんテンションが上っていって、

 

面白くなって、楽しくて、やめられなくて、夢中になる。

 

 

 

 

「愉快」と全く一緒。

 

 

 

 

 

誰かを傷つけよう、とか

傷を残そう、とか

 

そう思って言っているわけではないのだ。

 

 

 

ただ、楽しいから悪口を言っているだけ。

 

 

 

 

 

そのことがやっと附に落ちて。

 

 

 

私はやっと肩の荷が降りたような気分になった。

 

 

 

 

 

 

高校時代に言われていた悪口は

誤解された偏見は

独りぼっちになった仲間はずれは

 

 

ただ、楽しかったからやっただけなのだ。

 

 

私を意図的に傷つけようとしてやったことではないのだ。

 

 

 

 

 

きっと、

当事者にとってはとても辛い言葉になるだろうけど。

 

 

 

 

 

 

私が勝手に傷ついただけなのだ。

 

相手の「楽しんでいる行為(悪口)」に勝手に反応して、

勝手に怒って、勝手に悲しんで、

 

勝手に絶望して、

 

 

勝手に学校にいけなくなっただけなのだ。

 

 

 

 

 

誰の責任でもなんでもない。

 

 

 

 

例えば私が読書が好きで、

 

読書が好きで好きでたまらなくて、

 

ただ読書をしていたら、

 

 

「あなたがいっぱい本を読むから私が馬鹿に思えてくる!」

 

って言いがかりをつけられたようなものなのだ。

 

 

 

 

 

 

あのとき、

私の悪口を言って

仲間はずれにしていた子たちは

 

ただたんに面白かったからやっただけ。

 

 

 

ただそれだけの話。

 

 

 

 

 

 

そう思ったら、

 

子供がいじめられようが

 

傷つけられようが

 

ひとりぼっちになろうが、

 

 

 

 

私が子どもたちを温かく迎えてあげればそれでいいのだ。

安心して帰ってこれる場所にいるだけでいいのだ。

 

 

相手を変えようとする必要はないし、

 

子どもが変わる必要もない。

 

 

 

 

子どもたちは傷ついていいし、

 

傷つく権利があるのだ。

 

 

 

 

私が先回りして、

 

いじめられたらどうしよう。

悲しい思いをしたらどうしよう。

 

なんて、

気負う必要はなにもないのだ。

 

 

 

 

必要以上に心配になるのは

 

自分の心が癒えていないからなんだ。

 

 

 

 

 

なにか起きたのなら

 

その時に

心配しておろおろして困って

右往左往してやけくそになればいいのだ。

 

 

 

 

 

 

子どもたちは私が思っている以上にとても強くて賢くてしぶとくて

 

大丈夫だから。

 

 

大丈夫だと、信じてあげればいいだけなのだ。

 

 

 

 

 

あなたは私から産まれたのだから、

 

大丈夫に決まっている。

 

どんなに悲しいことがあっても、

 

どんなに辛いことがあっても、

 

 

あなたならきっと大丈夫。

 

 

 

一緒にいるだけで大丈夫。

 

私が躍起になって自分の問題として解決しようとしなくて大丈夫。

 

 

 

少しだけ人よりも難しい試験に挑んでいる我が子を

 

応援しながら心配しながら、

 

ただ子どもの可能性を信じてあげればいい。

 

 

 

 

私が試験を横取りしなくて大丈夫。

 

 

 

私の試験にしなくて大丈夫。

 

 

 

 

だって私の子どもだもん。

 

 

 

大丈夫に決まっている。

 

 

 

 

 

 

そう思えるようになると、

今まで煙のように出てきていた不安がぼんやりとなくなっていった。

 

 

 

 

 

私は悪口を許す、

 

許す、というか、

 

 

自分の中で許せなくなっていた鎖を外す。

 

 

 

 

悪口を言って喜んだっていいじゃないか。

楽しいんだから。笑

 

 

 

 

私は喜んで言わないだけで。

 

喜んで言う人がいたっていいじゃないか。

 

 

 

 

 

そう思えると、

本当に本当に

 

緩んだ気がした。

 

 

 

 

あぁ、終わったのだな、と思った。

 

 

 

 

私の高校時代に身に着けた鎖を

 

ここでやっと外せたのだな、と思った。

 

 

 

 

 

自分で縛り付けときながら

自分で解いてホッとするって。笑笑

 

 

どんだけ縛りプレイで頑張ってきたんだか。笑

 

 

 

 

 

 

 

やっとやっと

肩の荷が降りた感覚。

 

 

高校生の私が戻ってきたような感覚。

 

 

 

 

 

 

これからももっと昔の自分を受け入れていこう。

 

 

 

 

 

おかえりなさい。

 

ただいま。

 

 

 

 

 

 

 

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