禊のしくみと入浴のしくみの変移互換性について | Just One of Those Things

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日本神道における「禊(みそぎ)」という原語の由来 』から、前回の『禊のしくみと入浴のしくみの互換性はあるのか? 』より。今回は「禊のしくみと入浴のしくみの変移互換性について」考えてみようと思います。


日本国内においては、戦国時代を経て日本列島が統合されるまでは、各地方には現地民の民間宗教や、アジアやロシアなど渡来してきた豪族における民間宗教が存在していました。日本列島そのものの歴史は他の国国々に比べ若く、まだ浅いです。


日本列島に渡来人が入ってくる前までは現地民の民間主教が存在し、渡来人が独自の宗教やノウハウを用いるようになり、戦国時代を経て自然淘汰され、やがては統一されるに至ったことが考古学からの研究によりわかっています。


汚れを洗い流し落すという意味では、禊祓いや入浴は類似し、それらを行った後は心身ともにさっぱりとする、これを神道で言う「潔斎」状態であると説くこの思想は、古代の日本神道思想ではなく、実践神道(或いは、神仏習合思想を持つ修験道、もしくは実践仏道や雑蜜など)の山岳宗教思想に相当します。


「潔斎(けっさい)」という原語は、心身ともに清浄な状態になることを意味します。潔斎の「斎」は「ゆ」ともよみ、「湯」という言葉に通じると考えられている学者の方がいますが、現実的には、「汚れを洗い流し落すという意味」では同意とするのが自然です。


このような実践神道や実線仏道上が行うような意味合いでは、「湯」という言葉に通じさせ、清浄な「潔斎」の状態になるために古来から「湯を用いてきた」とされるのは、この意図に限り、同意となります。が、しかし、一般的な入浴と比べた場合には、比重は軽く、心身の新陳代謝を浴するための治癒を意図した入浴の比率が高いのが現実的でしょうから、幾分、湯治の域の意図の方が八割方、潔斎が二割方と考えてよいかもしれません。



また、日本列島はそもそも火山帯が多いので、日本には各地に温泉があり、人々も日常的に温泉を利用してきました。水を沸かして湯を立てて用いることも温泉を模したものとされています。地中より湧き出る温泉は温かく浸かると病気も癒えました。こういった流れから人々は次第に温泉そのものに神聖さを見出していったものと考えられています。


『伊予国風土記』の逸文には、「大己貴命(オオナムチノミコト)」が仮死状態になった「少彦名命(スクナヒコナノミコト)」を地下の樋を用いて大分の速水の湯(現在の別府温泉)を引き、その湯に浸けると、たちまち生き返ったという話が載せられています。これは道後温泉(愛媛県)の起源を説く話に相当すると考えられています。


このように神様も予備が得るとされる道後温泉の霊験は「神代のことだけではく、今も病人の薬湯となっている」との記載もあるといいます。


また、『出雲国風土記』のうち、「意宇郡の条」には、「出雲国造(イヅモノクニツクリノミヤツコ)」が新任して一年の潔斎をしたのちに、天皇に神賀詞を奏上するという記載があります。この潔斎の場所が、今の玉造温泉です。ここでは、出雲国造以外、民衆も入浴したとされています。文面には「一回入浴すると端正な美しい身体となり、もう一度入浴すれば万病も治癒する」とあり、「昔から今まで湯の効能が絶えたことがない。だから神の湯という」と記されています。


この風土記には、温泉が出雲国造の潔斎のために用いられ、その効能は神々の霊験と考えられました。また、「神の湯」という表現は『伊豆国風土記』の逸文にも見られるそうです。


こうして古くは当時の各地の温泉には温泉の神が祀られるようになり、『延喜式神名帳』には、発射の温泉神を祀る神社が挙げられています。温泉への信仰は、仏教が伝来されると同時に、やがて次第に仏教や密教の薬師信仰と混交し、その薬師如来堂が建てられていきました。


ちなみに、入浴する際の祭事における古いしきたりを紹介すると、浴槽に入る前に必ず桶などで湯を体にかけて清浄化させてから入りますが、これは古くから行われてきたしきたり(本来は禊祓の作法のうちの諸段階の作法)です。即ち、神事の前に行われる潔斎でも湯に入らず、湯をかけるのみとなります。


また、各地の古い由緒を持つ温泉でも、浴槽に入る前に呪文(真言)や経文(一般的には般若心経)などを唱えてから湯をかける例も見られます。(この作法は雑蜜か修験道か密教あたりの作法に相当)


つまり、神聖な身体に湯をかけることで、身体を清めて魂を復活(リフレッシュ)させることができると考えられてきたようです。