オレンジの皮をむき、ひと房口に含む。

種を舌で探って口からつまみ出したとき、

それまで含んでいたオレンジの甘さや、酸っぱさや、渋みの本当の味わいが伝わってきて、ちょっぴり切なくなる。

あえて例えれば幸せとはオレンジの種のようなもの。

幸せとはそうした、ある種の感傷だと思う。

幸福は人が人のためにつくったり、与えたりするものではない。なぜなら自らがその感性で、日常の中に感じ取るものだから、人には個体差があり人と人とが違うからこそ価値があり、人生を楽しむことができる。

だからこそ自分らしく生きることの中に幸福はある。

しかし、自由に伸び伸びと生きているように見える人間でも、人には語れない悩みや困りごとを抱えているものだ。

それを互いに感じ取るのが人と人の交流だとすれば、人間の中にはなんと不思議なこころが宿っているのだろう。

その人の想いに勇気づけられ、その姿かたちに癒され、時に感謝し、そうやって対話が重なって行けば、どんな時でもこころが一つになって笑顔が生まれる。

この世の中には大きな幸せというものはない。なぜなら幸福は量的なものではないから、お金をたくさん持っているとか、大きな事業に成功したとかそういう類のものではない、だから小さな幸福というものもないが、あえて例えれば幸せとはオレンジの種のようなもの。

幸せとはそうした、ある種の感傷だと思う。

だけど人間同士を結び付ける何か不思議な力がそこに宿ると思うのは、あまりに感傷すぎるだろうか。

 

ことまろ