認知症グループホームで働く

介護福祉士の純ですニコニコ



続きものです







両親は田舎から集団就職で

神奈川県ににでてきました


父は同じ会社で定年まで

働いていました

(定年60歳の時代)



母は子供が小さいときは専業主婦

少し大きくなってきたらパート



ほんとうにごく普通の

ありふれた

昭和時代のおうちでした



裕福ではないけど

食べ物には困らない感じ



母が認知症になる前に

母と話していたとき


「お母さんは2回流産したんだよ」

と教えてくれました

そのほかにも

田舎から出てきて

お父さんと出会って

私たちが生まれるまでのことなど

いろいろ教えてくれました



そのとき聞いたのが

最初で最後だったなぁ

(あっまだ生きています。

認知症で記憶障害となってしまったので

もう聞くことはできないと思うけど)


私は3人姉弟の2番目


もし母が


2人流産していなかったら

私は今ここにいないかもしれませんね



。。。。。


父と母は

2人とも【壬】(海)の人



私【丁】(月)と


結びつきが強いと言われています


​星の組み合わせで

結びつきが強くなる相手がいます

 
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だからなのか


結婚前は

何の心配も不安もなく

のほほんと暮らしていました


もちろん兄弟喧嘩はあったし

門限遅くなると怒られるとかありましたが

基本次女なので

要領よくすり抜けてる感じでした



〜15歳

私の中学生までの記憶は

万年副鼻腔炎で辛かった思い出が

ほとんどをしめています


今みたいに

抗生物質でちゃちゃっと

治しちゃいましょ。ではないので

本当に一年中鼻水が湧いてきていました


仲の良い友人はいたけど

中学で別れてしまったり


活発な方ではなかったので

小中学時代は

あまり楽しい思い出はないかな。



13歳まで大運天中殺の期間でした。
大運とは自分の命式とは別に、後ろを流れる10年ごとの運気。
天中殺とは時間は流れるけど不安定な状態。
それが純さんの場合は、生まれてから13歳まで続く運気でした

 
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15〜18歳

高校で運動部に入ったら

副鼻腔炎も治り

友人関係も良好



18〜20歳

短大卒業して就職したけど

都内への通勤がつらすぎて

一年半で退職😂

上場企業で良い会社だったんだけど

社会人経験乏しく

もう無理〜となりました

(今みたいに根性すわってたら

いけると思うけどね。)


​10年ごとの運気で

自由を求める星が来ていたのです。

こうあるべき。から解放されたのかな。

 
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20〜22歳

自転車で通えるバイト

実家から通勤

バイト先で夫と出会う



ここね、

本当にもう夫と出会うこと

必然だよね。ということがあって


純さんのど真ん中に
自分のやり方でやりたい星がある。
なんだかんだいいながら、星通りに生きているのでは?笑

 
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実は

わたしは

一度落とされたバイト先を

もう一度うけなおしたのよね笑

2度目のチャレンジで見事合格💮


みんなに

一度落とされたところ受けるなんて

信じられない!!と言われましたが。



​純さんは生月中殺を宿命に持って生まれています。時間はあるけど空間がない状態。
どこまでも突き抜けるし、どこまでも落ちることもある。波瀾万丈好き😂

 
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そんなこんなもありながら

バイト先で出会った

夫と結婚しました



つづく




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