逢阪冬馬さんの小説『同士少女よ、敵を撃て』を読み終えました。
2021年11月に単行本刊行、2022年に本屋大賞を受賞、昨年12月に文庫本化された600頁弱の大作です。
本屋大賞を受賞されるまで逢阪さんのお名前も存じ上げなかったし、受賞作品がどんな内容の小説なのか概要が紹介されているのを目にした際、僕は食指が動きませんでした。
この作品が戦争小説だということを知り、当時はあまり読みたいと思わなかったというのが本当のところです。
でも、僕が過去に読んだ大概の本屋大賞受賞作品は面白かったし心打たれることも多かったので、昨年末に文庫本化された際に、本作もやっぱり一応読んでみようと購入していたのです。
*表紙の画像はネットからお借りしました。
出版元の早川書房のHPや本書の裏表紙で、以下のように内容が紹介されています。
独ソ戦が激化する1942年、モスクワ近郊の農村に暮らす少女セラフィマの日常は、突如として奪われた。急襲したドイツ軍によって、母親のエカチェリーナほか村人たちが惨殺されたのだ。自らも射殺される寸前、セラフィマは赤軍の女性兵士イリーナに救われる。「戦いたいか、死にたいか」――そう問われた彼女は、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意する。母を撃ったドイツ人狙撃手と、母の遺体を焼き払ったイリーナに復讐するために。同じ境遇で家族を喪い、戦うことを選んだ女性狙撃兵たちとともに訓練を重ねたセラフィマは、やがて独ソ戦の決定的な転換点となるスターリングラードの前線へと向かう。おびただしい死の果てに、彼女が目にした“真の敵"とは?
戦争小説なので上記の紹介文にあるように、おびただしい死が描かれていて、読み進めるのが辛くなる時も正直ありました。
しかし、戦争が如何に悲惨で理不尽かがひしひしと伝わってきたし、そんな極限状態の戦争の中でも仲間や上司・部下がお互いに思いやる気持ちや信頼関係が人としてどれほど大切かが伝わってきて心を打たれました。
やっぱり、本屋大賞受賞作品だけのことはあると思います。
エピローグで主人公セラフィマの戦後の総括として、以下の記載があります。まさに、命の意味を考えることになる作品でした。
セラフィマが戦争から学び取ったことは、八百メートル向こうの敵を撃つ技術でも、戦場であらわになる究極の心理でも、拷問の耐え方でも、敵との駆け引きでもない。
命の意味だった。
失った命は元に戻ることはなく、代わりになる命もまた存在しない。
学んだことがあるならば、ただこの率直な事実、それだけを学んだ。
この作品が2022年11月に刊行され、翌年の2月にロシアのウクライナ侵攻は開始されたため、逢阪さんは苦悩の日々を送られたようです。そのことを、巻末の「文庫本化によせて」で綴っておられるので、一部転載させて戴きます。
この小説を書かなければよかった、と何度も本気で思いました。
本作を巡っては、あまりにも多くの出来事がありました。デビュー作でありながら、ありがたいことに当初から売れ行きは好調で、直木賞にノミネートされ、本屋大賞など様々な賞を受賞しました。小説家としての私は、これ以上ないほど順調にスタートしたと言えます。しかし、本作は最悪の形で同時代性を獲得しました。
2023年2月24日、ロシアはウクライナに全面侵攻を開始しました。悪夢のような戦争が始まったその日、私は本書の発行部数が十万部を突破したとの知らせを聞きました。現実にロシアが引き起こした戦争の惨禍が連日報道される中、ロシアと戦争をテーマにした自作が売れてゆく。作者たる私には現実の戦争に関する質問が次々と投げかけられる。私は一連の現実を受け止めきれませんでした。日々戦争に関するニュースを見聞きして一人で泣き、泣きながら重版の知らせを毎月のように聞いていた記憶があります。
ロシアによるウクライナ侵攻は開戦から二年を経た今も終わることはなく、この情勢下で本作を読むことに抵抗を覚える方もいらっしゃるかも知れません。
しかし今、私はこう思うのです。戦争と殺戮が世を覆うとき、文化がしてはならないことは、それらの主体と見なされる、民族、国籍、人種等のアイデンティティ、およびそれに属する人間を描くことではなく、描くことを拒絶することなのだと。
どのような時代も、いかなる民族、国籍、人種も、その全体を憎悪してはならず、戦争行為と悪行の責任が、それら全体に還元され、懲罰の対象と捉えられることがあってはならず、同様に、いかなるアイデンティティも、共感の対象から排除されてはなりません。
それは虐殺を防ぐ論理ではなく、あらたなる虐殺を誘発する論理であるからです。
文庫化に際して、『同志少女よ、敵を撃て』という作品を、単行本のゲラ直し以来、初めて最初から最後まで読み直しました。この小説を書き、そして2022年11月に世に出せてよかった、と思いました。そう書けるまでに、三年を費やしました。
逢阪さんが「この小説を書き、そして2022年11月に世に出せてよかった」と思えるに至った作品、ロシアによるウクライナ侵攻が続く今の情勢下でも本作を読む意義はあると僕は思います。
