*ともみんちへようこそ*
こんにちは
ともみんです。
親子関係、
過ごし方、
自分の在り方など
いろいろなことを見直している今。
「愛している」
という感覚がわからない。
「愛する」というのが
どういう状態を指すのか、わからない。
だから、
子供達にも夫にも
「愛している」と思ったことがない。
ただ、
・愛おしい
・大切
・ありがとう
・すき
・気になる
・おもう
・慕う
ならわかる。
きっとこれらの総称を「愛」と
いうのだろう、
という想像はできるのだけれど、
「愛」という言葉と一致する感覚が
私の中にみつからない。
ただ、
「愛情」ならわかる。
「愛」という言葉に違和感。
「愛情」というと
きれいな感情だけでなく、
思うが故に生じる葛藤や苦しみ、
寂しさ、切なさ、儚さ、不安、
離れたい、見たくないといった
負の側面も
含まれるような感じがして、
すごく自然に受け入れられる。
でも
「愛」とか「愛する」
という言葉になると、
「こうあるべき」という圧のようなものを感じる。
人為的。
感覚がのっぺらぼうになってしまう感じ。
「すき」ならわかる。
すきは
その時の自分のなかに
ふわっと温かなものが広がったり、
煌めきや甘酸っぱさ、恥ずかしさ、照れ、
喜び、不安もぜーんぶ
含まれる・・・
イメージで言うと
色とりどりの
”あめだま”がたくさんあるような感覚。
でも
「愛している」に言葉が変わると
この”あめだま”は途端に
赤一色になる、
そんなイメージ。
つたわるかな?
冗談っぽくなら言える
”あいしているよー”という言葉。
でも
心から湧き上がることはない。
わたしにとっては
無機質な言葉「愛」
人為的で、
こうあるべきだという理想を表現しているような
感じもする。
繊細な感情、感情の隙間に起きる気持ち、
様々な微細な感覚、呼吸や温度、
どうしても生じてしまう矛盾を
要は「愛」でしょ??
と、ひとことで表しているように思う。
だから、
湧き上がることがない。
「愛」という感覚。
時として
色が変化する感情の存在ひとつひとつを
大切にしたい。
と、
いろいろ書いたけど
愛していると言われたことがないー
だから
感覚がわからないんだろうな。
「愛」という言葉の使い方を知らない。
自分の世界にない言葉だから
人為的で表面的なんだろうな。
3年前に描いたポエムが
今、すごくいいなって思う。
自画自賛。
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