失敗が怖いけど、
失敗そのものが怖いのではなく、
ものを無くすとめちゃくちゃ落ち込む。
自分のものだけでなく、
子どもが「〇〇がないー!」というと
めっちゃドキドキする。焦る。
そして、
だんだん怖くて
イライラしてくる。
なんでかなぁ?
なんでかなぁ?
落ち着け、落ち着けと言っても全然聞こえない。
「大丈夫見つかるから」と言ってもらっても
スッキリしない。
「新しいの買えばいいよ」と言ってもらっても
スッキリしない。
わかっているけど、
無理!ってなる。
とにかく
「なくす」ということへの後悔はめちゃくちゃ大きい。
なんでかな?
ここ最近考えていた。
それで、聞いてみた。
「何が怖いの?怒られる?」
わたし自身の中でも
なかなか声が出ない。
何と言ってもらったら、楽になる?
と聞いたら
「これが病気だと思えば楽になる」だった。
どうにもこうにもコントロールできない。
病気だから仕方ないって思ったら、
ほんの少し罪悪感消えた。
でも、完全に消えない。
生まれてきてしまってごめん。
生まれてきたことへの罪悪感があったからかなぁ。
こんなわたしに与えてくれたものを
大事にできなかったことへの罪悪感。
だらしなくてごめんなさい。
なくしたことにより、
迷惑かけてしまうという罪悪感。
わたしのためにお金を使わせてしまうという罪悪感。
いくつもの罪悪感が押し寄せるのが「紛失」
他の罪悪感よりも
いくつかの方向から押し寄せる恐怖がある。。。
だから、他の失敗よりも怖いのかもなぁ。
自分は生まれてきてしまってごめん。
生まれてきたことへの罪悪感、
これ、かなり根深い。
愛されていたはずなのに、
受け取れていない自分にも凹む。
愛されていた事実はあるのに
なぜそう思えなかったんだろう。
なかなか
癒す言葉がみつからないなぁ。
そんな話を夫にしたら…
性同一性障害の人が
親に対して
ごめんなさいって思うのと似てるかもな。
やってさ。
あー、そうか。。。
「ごめんなさい」って思う自分さえも責めていた。
何で受け取れないのだろう?
って責めていたなぁ。
わたしの中にある
「普通」ではないと感じた部分、
自分でもよく理解できない性質、感覚を
親に見せられないと思いこみ、
隠そうと必死だった。
だから孤独を感じていたのかなぁ。
真相はわからないけれど
そう思ったら、
「愛されていたはずなのに、
受け取らなくてごめんなさい」は
薄くなっていった。
受け取れなくても
仕方なかった。
ものをなくした時の
イライラ、恐怖がなくなるのは
あらゆることへの罪悪感というものが、
和らいだ時なんだろうなぁ。