生きてもいいと思ったら。 | 5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子と、“ツレウツ”な夫と、わたし。
心の揺れ、葛藤、理想、よろこび――日常にあふれる、言葉にならない思いたちを、まるごとメモしています。
整ってないけど、うそはない。生まれたての気持ちを、そのままここに置いています。

昨日、

こんなことをかいた。

 

「もうちょっと生きてみたいと思っている」と。

 

 

 

この話を夫にした。

 

「そっか」とだけ言ってた。

 

そのあと、わたしは寝たんだけど、

日付が変わった頃に

 

夫からLINEがきてた。

 

お誕生日おめでとう・・・なんちゃらかんちゃら・・・

最後に

 

【あと、何年一緒か分からんけど宜しく!

せっかくの人生なので金婚式はしてみたいよな😄】

 

 

びっくりした。

 

 

きっと出会った19年前も

少し前も

いつでも

 

「自分から命を終えたいとは思わないけれど、

今、生の終わりを告げられても、そうなんだって言えるよ。

ほっとする自分もいる」と言ってた。

人生に期待もしていなかった。

(期待したかったけど、裏切られることが怖くて期待しないようにしていた)

 

だからか?今までは

 

「金婚式」なんてことば、

わたしたち夫婦の間には出なかった。

決して仲がわるいわけではないけれど、

ずっと先の未来のことを話題にすることはなかった気がする。

意識して避けていたわけでもなかったけどね。

 

 

でも

「もうちょっと生きていたい」と言ったら、

 

あと35年も先のことが話の中に出てきた。

 

じーーーんときた。

 

夫がどんな気持ちで「金婚式」って言葉を使ったのかわからない。

何も意識していないのかもしれない。

 

でも、

わたしにとっては衝撃的だったし、

 

彼に未来をイメージすることを禁止していたみたいで

ごめんねって思った。

 

そして・・・

 

すごいなって思った。

 

「生きたいと思う」と宣言したら

環境が変わったとも言えるやん?

 

大袈裟にいえば、

 

自分の意識で現実は変わるし、

言葉で世界はかわる。

 

 

「金婚式」という言葉から

自分たちの36年後をイメージした。

 

ないと思っていた未来が

「あるかも」になった。

 

うまく表現できないのだけれど、

これは

小さいけれど

おおきな変化だと思う。

 

書いてて涙でてきた。

 

この世に生を受けたのは38年前かもしれない。

でも、

「この世で今の自分のままで生きてみたい」と思えたのは今。。。

 

今、やっと自分を生きるスタートラインに立っているような感覚でもある。

 

やっと。

 

 

「今まで惰性で生きてた。消化試合みたいに思って生きていた。何やってたんだろう」っとつぶやいたわたしに

 

夫は言った。

 

「今からたのしいことがいっぱいあるってことやで。」と。

 

 

そう言われても

「そっか!そうやな!」と無邪気に思えるほど

純粋じゃない。

 

 

「そうだといいけど」と返すのが精一杯だけど。

 

今のわたしは人見知り時期の赤ちゃんのように

めっちゃ人見知りの時期。

 

人見知りをする子どもは、

相手に対して警戒心を抱く一方、

近づきたいという思いを持っている。

人見知りをする子どもは、怖いけど近づきたいという、

相反する気持ちの間で葛藤している。

 

これとおなじ。

本当は人に対しても

世間に対しても心をひらいてみたい。

でもこわいんだよ。

 

安心できる環境の中で、少しずつ経験を重ね、

「警戒心」を和らげ、

「信頼」を広げていく人見知りの赤ちゃんのように

 

わたしも

今からすこーしずつ、すこーしずつ

ハートを開いていけたらいいなって思ってる。

 

 

今から世間や世界をすこーしずつ信頼していくんだ。

 

そしたら、

今までの38年間とは違った感覚や景色がみえるよね?

 

人見知りのこどもが

社会に出ていくようにー。

 

 

先はながくてうんざりするけれど、

やってみよう。