昨日、
30年以上の付き合いになる友達と
電話して、
初めて、
お互いの小中学生時代の
誰にもいえなかった
「闇」の話をした。
お互い、
よく似たことを考えながら、
自分を否定して、
自分の感情を「ダメ」だと
扱っていたこと、
「夢中」という感覚が
わからないまま、大人になっちゃったなぁーという虚しさを
抱いていたことが
初めてわかった。
その話を
することさえも
タブーだったんよねー。
ようやく30年近く経ち、
話せた。
「わたしら、37歳にもなって、
小学生の頃のトラウマが足かせになってるなんてね」
笑いながら話した。
お互い、同じようなものを
抱いていたから、
繋がっていたのかな。
なんて、思いながら…。
そのあと、
ふと思い出したことがあった。
わたしは小学生の頃、中学生の頃、
なんで勉強がんばったんやったかなあ?って。
外からの認められたかったんやろなぁ。
でも、どれだけやっても
満たされることはなくて。
周りが「すごいな」って言ってくれても、
成績が良くなっても満たされることはなかったんよなぁー。
空虚なかんじ。
なんでやったんかな?と思って考えてた。
多分、
「すき」になりたかったんやろうな。
自分のことを。
ダメやと思うところを隠したくて、
何か他のものでごまかそうとしてたんやなぁ。
他のもの=成績やったんかも。
あのとき、
欲しかったのは
「勉強できなくてもいい」って
言葉でも
「すごい」って褒められることでもなく、
あなたのこういうところが「すごい」でもなく
「すき」って言葉やったんかも。
行動ではなく、
自分の中身を「すき」になりたかったし、
自分の嫌いなところも「すき」になりたかったんかなぁって思った。
そんなタイミングで、
友達から
「子どもがバカにされて帰ってきて、拗ねてる。どうせ自分はダメって思考になってる。
わたしは何と言えばいい?」
と聞かれた。
わたし、そういう気持ちに
何度も何度もなったことある。
できない自分を否定しているから、
周りから
少しでも指摘されて、
落ち込んだ。
あの頃、どうして欲しかったんやろう?
「できるようになるように」一緒にと付き合って欲しかったのだろうか?
もちろん、
「できるようになりたい」から、
一緒に付き合ってもらえたらうれしい。
でも、
反対に言えば、
「できることの方がいい」と
言われているようにも感じ、
できないといけない、
できないのはダメ
と言われているように
捉えてしまっていたようにも思う。
だから、
一緒に付き合って練習しよう、
その前に…
肯定してほしかった。
そんな風に感じる自分をダメだと思わなくていいーと、
感じたかったと思う。
人それぞれ得意不得意がある。
感じ方はいいも悪いもない。
そして、
わたしの好きなところ、
素敵やなぁって思うところ、
愛おしく思えるところを伝えてもらいたかったな、
これをできてもできなくても、
わたし自身の価値は
変わらないと
自分で思えるように
なりたかったんだな。
ま、
そんなことを
今更だけど天敵
徒然なるままに
振り返りながら、
わたしの話を友達に伝えた。
いろんなきっかけをもらいながら、
生き直している37歳の秋。
