描かせていただくということの意味。 | 5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子と、“ツレウツ”な夫と、わたし。
心の揺れ、葛藤、理想、よろこび――日常にあふれる、言葉にならない思いたちを、まるごとメモしています。
整ってないけど、うそはない。生まれたての気持ちを、そのままここに置いています。

こんばんは。

 

ともみんです。

 

 

昨日はまたまたターニングポイントになった一日でした。

 

うまく説明できるようになったら、お伝えしたいと思いますが、

少しだけ。

 

昨日の一連の出来事のように、



まとまらない、

言葉で表現し難いことが、こんなにあるのかな?


とかんじることが多くなっているんだけど、


それって、

 

「ことばで表現することにこだわらなくていいんだよ」

 

という

お告げのようにも感じています。

 

先日、

私って、書家じゃないし、アーティストじゃないし、詩人でもない氣がする。

一体、何なんだろう?

カタチに囚われる必要ってないんだろうなあとつぶやいていたのですが・・・・

きっとね、



「ともみん」でしかない。

 

わたしはわたしの表現をしていこう!

 

と、弱々しいながらも落とし込んだところです。

 

↑

この文章もわかりにくいかも・・・

 

 

一年前はなまえポエムを描きながら生きていく!と夢を語り、

その夢がいま現実になっているミラクル~とおかきしましたが、

 


なまえポエムをはじめてお描きしたのが2年前でした。

 

そのスタートの作品をみると

 


「え?これ、わたしが描いたの~??」というくらい自分でもびっくり!

 


恥ずかしい(笑)

 

ほんとに恥ずかしい。

 

字はその時その時で

いつの間にか変わってきています。

 

比較するのが申し訳ない感じもしますが、

やなせたかしさんの「アンパンマン」も1作目と現在では全く違うようにみえませか?

そんな感覚です。(たとえになっているかなあ?)

 

ポエムの深みも変わっているようで、スタートからすべてチェックしている夫は



かなり進化したな。



と言っています。


 

わたしに「ネタ帳」はない。

 

「その時、その瞬間だから」降りてくる言葉がある。

 

単なる言葉遊びではないから、ネタ帳はいらない。

 

もちろん、漢字や言葉の意味をすべて知っているわけではないので、

国語辞典や漢字辞典には助けてもらっていますよハート

 

 

そうやって、生み出す作品は変化しているし、

私自身も作品に「一期一会」を感じているのですが、

 

変わらないもの・・・もあるんです。

 

 

それはその方の「魅力」を伝えたいという思い。

 

だれもがこの世に存在するたったひとりの存在。

だれもが大切な大切ないのち。

 

だれもがオンリーワンのもちあじがある。

 

「やさしい」人はたくさんいます。

(多分ね、全人類みなやさしい)

 

優しい人はたくさんいるけれど、「やさしさ」の形は全員違う。

似ているけれどちがう。

 

そこを表現して伝えたいと思ってきました。

 

それが、

ドン!と心のど真ん中にはまった時、

 

「嫌い」だった自分が「すき」になったり、

「もっと」自分が「好き」になったり・・・

自信や勇気がわいてきたら いいなあ。

 

自分のことを「尊い」「いとおしい」と思えたら・・・

 

最高にうれしい。

 

お子様の場合は

「ありのまま」大きくなっていけますように―

 

と祈りに近い思いを持ってお描きしています。

 

そして、その子をとりまく大人がね、

 

そのお子様のことで悩んだり、心配している場合には

 

「心配ご無用」「この子は大丈夫」ということを感じてもらえたら・・・と思っています。



 そしてね、

変わらないことその2


ポエムを生み出すと、

わたし=ともみんが満たされる感覚があります。

 

まさに

「描かせていただくこと」でわたしが満たされていくんです。

 

 

なんでなんだろう?

 

と思っていました。

 

なんでなんだろう・・・




喜んでもらえるから嬉しいんだな!

認められて嬉しいのかなって程度にしか思ってなかったのですが・・・

 

氣づいちゃった。

 

 

 

 

なんで満たされるかって・・・

その人に伝えながら、

私自身にもその言葉を伝えているからなんだろうな。

 

 

ちいさな頃から自分の名前が嫌いだった。

じぶんが大嫌いだった。

変わり者の自分が許せなかった。

受け取らないくせに、承認欲求は強くて、

そんな自分にうんざりしていた。

 

 

それが、すこしずつ、少しづつ・・・

 

解けて、解放されていく感覚になっているのは

 

ポエムに入れる言葉は私自身にも同時にむけられていたからなのかもしれません。

 

 

「鏡の法則」って聞いたことがありますか?

 

鏡の法則は、この世界は、

自分自身を映す鏡であることを

気付かせてくれる法則。

 

ほかの人に願うことは

実は自分自身にねがっていること。

 

ほかの人に贈る言葉は回り回って自分に向けている・・・・

だから

 

わたしは満たされていっているんだね。

 

 

過去の自分は大嫌いだった。

 

でもさ、大嫌いだったからこそ、紡げる言葉があり、

それが、誰かのちからになれているのなら、

 

過去の自分も必要だったということが分かるし、

 

過去があるから今があり、そして、未来があるのだということがしっくりくる。

 

 

なまえポエム。

「描く」のではなく、

 

描かせていただいています。

 

いつもありがとう。

 

 

なまえポエムでなにか力になれそうなことがあれば、

お声掛けくださいね。

 

 

ともみん。




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友だち追加