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No.312 異説 白木神社 ヒョウカリィライ、ピンホーリィライ③

 
宮原誠一の神社見聞牒(312)
令和8年(2026年)04月13日
 

福岡市西区(糸島半島北部)の北崎校区に、西浦(にしのうら)という漁港があります。この西浦地区の産土神(五十猛)を祀った白木神社で「ヒョウカリィライ」という祭りが行われます。
毎年旧暦8月1日(八朔日)が祭日ですが、学童の都合により、八朔(はっさく)に近い9月の第一土曜日に行われます。

 

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※旗には鯛の双魚に許黄玉(天照女神)の石塔


この「ヒョウカリィライ」という祭りは、百嶋学によれば

 

百嶋先生講演 宇佐神宮とは何か 2012年3月17日
福岡市の海岸沿いの西の果て、西浦に白木神社があり、ご祭神は山幸彦(彦火々出見命)であるが、山幸彦の奥様の元の旦那である海幸彦(天忍穂耳命)が手離さないので、山幸彦は頭にきている。京都の伏見大社の本当の実力者である山幸彦の奥さんを、元の旦那が手離さない。
ヒョウカリィライ、ピンホーリィライ(黎族のくそ野郎、来るなら来てみろ)、西浦の白木神社が一年に一回、今でも、そのことを祭りでやっている。
海幸彦は中国大陸にいた頃は黎族といっていた。
黎族の一部が通称、漢民族に追われて、追いこめられた場所が雲南省で、そこにシナ城を作った。そこも追われて、二つのグループにわかれる。一つのグループは櫛田神社の大幡主白族グループで、大半は紅河が流れるベトナムのハノイに到着する。また、一つのグループはシナ城の黎族グループで、メコン河を利用して南ベトナムの方に流れ込んだ。
そして、二つのグループとも海南島で態勢を整えて、日本に移住しようということを打ち合わせた。日本に来て、天草・苓北に上陸した。日本にきてからは黎族とはいわず耳族とも称した。



ヒョウカリィライ、ピンホーリィライ
福岡市西区西浦の白木神社の祭神は五十猛神であり、「ヒョウカリィライ」(黎族のくそ野郎来るなら来てみろ)と言って、祭りで喧嘩をなさっている。かつての嫁さん・姫大神を中心とした争いであるとします。
※No.63 春日様を奉斎する海幸彦・山幸彦 2018年6月8日 参照

白木神社 福岡市西区西浦1363-1
祭神 五十猛命

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この白木神社は、神社の北の妙見山の頂上にあったものを、昭和36年(1961年)に、この地に移されました

 

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※ f_nishistagram 2023年9月12日 から見る祭の儀式(要約)
https://www.instagram.com/p/CxFVAJlLZhV/

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(要約)昔から地域に伝わる伝統的な神事で、この地区の漁業組合が中心となり、航海の安全と豊漁を祈願して行われるものです。
漁師の皆さんは、代々、家に受け継がれてきた旗を竹竿に結んで、神社に集まります。神前でお祓いを受けたあと、航海の安全と大漁を祈願した言葉を書いた紙製のお守りを一文字ずつちぎって、それぞれの竹竿に結びます。そして、子供達が主役となって祈願を行います。
「ヒョウカリイライ、リイリイライ、リイライリイライ、リイリイライ、ヒョコ!」と大きな声を出して、竹竿の下をリズムに合わせて地面にたたきつけ、最後の「ヒョコ」と言うところで竹竿の周りをくるんっと一回り!これを3回繰り返すことで祈願をするという神事です。
子供達は白木神社での祈願が終わると、漁港近くの「恵比寿神社」、船がある「港」、「お稲荷さん」のある、それぞれの家を祈願して回ります。



百嶋学によれば、この祭りは喧嘩祭であると言われる。しかし、祭りの掛け声「ヒョウカリイライ、リイリイライ」は、その様には聞こえません。また、動作を見ても「何かを呼び込む」祈願祭なのです。
そこで、「No.63 春日様を奉斎する・・・」の記事を見直すこととしました。

 ヒョウカリィライ 馮河黎来 (漢音)
 ピンホーリィライ 馮河黎来 (中国語)
 馮河 徒歩で黄河を渡ること。無謀なことを行うたとえ

「ヒョウカリィライ、ピンホーリィライ」(黎族のくそ野郎、来るなら来てみろ)の解釈は困難でした。
そこで、AI(Artificial Intelligence)に訊ねることに。
簡単に答えを出してくれました。

 

※ヒョウカリイライとピンホーリイライ?
ヒョウカリイ(黄梨)ライは、中国本土の言葉で「福よ来い」を意味し、ピンホーリイ(鳳梨)ライは台湾・福建の言葉で「福よ来い」を意味します。両者は、福を呼び込むための言葉として使われ、非常に景気の良い呪文になっています。


この回答を得れば、後は察しがつきます。

ヒョウ(憑)コーリィ(黄梨)ライ(来)=「福よ来い」(漢音)
ピン(憑) ホーリィ(鳳梨)ライ(来)=「福よ来い」(台湾語)


ヒョウコーリィライ 馮黄梨来 (漢音)
ピン ホーリィライ 馮鳳梨来 (台湾語)


※「憑」頼む(たのむ)
たのみ(田の実)に同じ。陰暦八月一日(朔日)に行われる儀礼や行事,およびそれに伴う贈答品。また,
旧暦八月一日の異名。

※八朔祭 Wikiによる
八朔(はっさく)とは八月朔日の略で、旧暦の8月1日のこと。
この頃、早稲の穂が実るので、農民の間で初穂を恩人などに贈る風習が古くからあった。このことから、田の実節句(たのみのせっく)ともいう。この「たのみ」を「頼み」にかけ、武家や公家の間でも、日頃から面倒をみてもらっている(頼み合っている)人に、その恩を感謝する意味で節供の贈り物をするようになった。

※私が子供の頃の八朔祭は生後初の旧八月朔日に行いました。笹竹にいろんなものを吊り下げていた記憶がありますが、今はなく、記憶も曖昧です。

※鳳梨の読み方とは?
鳳梨(フェンリィ)は中国語でパイナップルを意味します。
この名前は、見た目が豪華で、色と形が神話に登場する鳳凰の尾のように見えることから名付けられました。パイナップルを中国語で発音すると「鳳梨フェンリィ(fèng lí)]となります。また、台湾語による発音は「旺來 オウンライwàng lái)」と言い、「幸運が来る」という意味になります。


何と! 鳳梨(フェンリィ)は中国語でパイナップル。福の神であると!
第二次世界大戦後、台湾がパイナップル缶詰の生産量が世界一であったという。


https://pineapple-museum.kcg.gov.tw/JP/home03.aspx?ID=28

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台湾唯一の日本統治時代パイナップル缶詰産業 (摘要)
パイナップルの主要産地は南部の鳳山・大樹一帯と中部の彰化・員林一帯であったため、パイナップル缶詰の生産もこの二つの地域から始まりました。一方、大樹地域は地理環境と気候がパイナップルの栽培に適するため、主要な生産地ともなりました。その始まりは日本統治時代に遡ります。
1918年、泰芳商会が台北大稻埕出身の商人である葉金塗によって創設されました。葉金塗は日本人・岡村庄太郎が始めたパイナップル缶詰産業を継承した台湾商人の一人で、パイナップル缶詰産業によって富を得たため、「パイナップル王」と呼ばれました。




白木神社
福岡市西区西浦1363-1
祭神 五十猛命(いそたける)

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一の鳥居「白木神社」

 

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白木神社(しらきじんじゃ)
この神社の祭神は五十猛命で、西浦の産土神として祀られています。元は、神社の北に位置する妙見山の頂上にあったものを、昭和36年(1961年)にこの地に移したものです。
ここには、航海の安全と豊漁を祈願して行われる[ヒョウカリイライ]というお祭りが伝わっています。毎年9月初旬に行われるこのお祭りでは、竹竿の先に鯛の絵をあしらった旗をなびかせた十数人の子供たちが、神社を出発し家々の家神様を回ります。
また、毎年8月16日には、西浦の浜方の盆行事の一つ「西浦のかずら引き」が行われています。この行事はくず葛で綱を綯(な)う点や、綱を引き合わずに転がす点など、盆綱引きが昔のままの姿で今も残っています、綱引きの後は、綱を土俵の俵に変え、子供たちの盆相撲が始まり、大いに盛り上がります。 平成14年3月 西区役所

 

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金刀比羅宮 注連縄は大幡主の形式です
灯籠に天照女神の桃の彫刻があります

 

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二の鳥居「白木宮」

 

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三の鳥居

 

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参道両脇に大幡主のソテツがあります

 

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拝殿前

 

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額縁は天照女神の形式です

 

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本殿右の境内社・塞神社(左 二神) 稲荷神社(右)

 

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大黒天と恵比須神

 

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本殿左の境内社・金刀比羅宮(二神)
金刀比羅宮は許等比羅宮が本当の表記では

すると、天照女神と大幡主を祀ります

 

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社殿左の稲荷神社

 



白木神社の「ヒョウカリィライ」の祭りについては、北崎よかとこ隊 (北崎校区自治会)「2015年のヒョウカリイライ!」2015/10/09 のブログ記事に詳しく紹介されています。一読を勧めます。
 

 

http://kitazakijichi.blog.fc2.com/blog-entry-141.html

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2015年のヒョウカリイライ! 2015/10/09 15:19
毎年9月の第1土曜日に行われている西浦のお祭り
『ヒョウカリイライ』を取材してきました!

去年もブログでご紹介しましたが、ヒョウカリイライが終わった後に、たくさんの御馳走が並んでいるのを見て、調理している漁師の奥さまたちの姿も取材したいなと思い、今年は朝早くからお邪魔しました。
準備がひと段落したので、「ヒョウカリイライ」を見に白木神社へ上りました。
子どもたちも気合が入ってきてます!

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「ヒョウカリイライ リイリイライ リイライ リイライ リイリイライ ヒョコ!」と言いながら竹竿で地面をつつきながら大きな輪になって回ります。
そして最後の「ヒョコ!」で竹竿の周りをくるんっと一回り!

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漁港の恵比須神社 ※旗には許黄玉の鯛の双魚

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同じ糸島半島の東部の今津の登志神社(としじんじゃ) でも、「ヒョウカリィライ」の祭りを行っていたという。


登志神社(としじんじゃ)
福岡市西区今津1570
祭神 豊受姫大神、中筒男命、姫大神

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登志神社(としじんじゃ)
今津は、古代、登志郷と呼ばれており、港には中国の船が多数寄港していました。古い地名が残るこの神社は、登志の湊鎮守のために祀られました。
毎年1月15日には、「今津の十一日松囃子」が、この神社を氏神として催されます。三味線、太鼓、鐘で囃しながら「山車引き歌」を歌い、山笠や山車で町内を練り歩く姿には、博多の山笠やどんたくの原初的な形がみられます。
また、9月初旬に、この神社の境内で行われる「今津人形芝居」は、もとは隣村の大原にあった「大原操り人形」の道具一式を明治24年(1891年)に、今津で新たに結成された「恵比寿座」が譲り受けて始めたものです。昭和45年(1970年)には今津人形芝居少年部が組織され、その伝統が受け継がれています。昭和29年(1954年)に、県の無形民俗文化財に指定されました。 平成14年3月 西区役所

 

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登志神杜
鎮座地 福岡市西区今津字尾の上1570番地
祭 神 豊受姫大神 中筒男命 姫大神
境内神社
陰若神社 息長帯姫命
稲荷神社 倉稲魂神 宇賀竜神 大己貴神
志賀神社 表津綿津見神 中津綿津見神 底津綿津見神
五十猛神社 五十猛神
村社 明治5年11月3日列格
祭儀 正月11日 9月9日 9月28日
由 緒
昔中国の船が来集していた登志の湊鎮守のために、まつられたものとして、字尾の上にある。人皇50代桓武天皇の延暦三年伊勢国山田原から奉成遷座と伝えられている。社号は登志郷の名を冠している。
民部省図帳によれば登志湊の神貢云々の事のみにて、朝廷の厚く尊敬ありし事も詳で、また筑前国志摩郡に往昔より社領多かったという。天文7年3月29日九州探題臼杵安芸守親連の時に社領従前の例に任せ中通六町今津に二町寄附あり。その他にも寄進状を伝えている。神宝として縁起猿楽の仮面五等が存していたが、天保15年甲辰焼失す。

 

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福岡県神社誌 登志神社
糸島郡今津村大字今津字尾ノ上
祭神 豊受姫大神、中筒男命、姫大神
由緒 元享二年(1322年)民部省図帳に登志湊神貢云々の事見えて朝廷厚く尊敬在りし事詳也、この登志湊とあるは則 今津の古名ならん、右の民部省図帳に筑前国志摩郡に往昔より社領等多有之たる哉
氏子区域及戸数 糸島郡今津村岡区 百十五戸
境内神社 陰若神社、稲荷神社、志賀神社、五十猛神社、庚申社

※祭神の豊受姫大神(とようかのひめ)と姫大神は天照女神です。中筒男命は住吉大神で大幡主でしょう。境内神社(陰若神社・稲荷神社・志賀神社)の主祭神は天照女神です。
五十猛神社・庚申社の祭神は大幡主です。

 

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本 殿

 

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住吉神紋(天照女神・大幡主)

 

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庚申社、(陰若神社・志賀神社・五十猛神社)

 

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庚申社石塔

 

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稲荷神社




再び、白木神社の「ヒョウカリィライ」の祭りについて
「ヒョウカリィライ」とは、旧暦の8月1日の八朔祭(憑)で、福の神を呼び込む(黄梨来)祭りと解釈しました。

「ヒョウカリイライ リイリイライ リイライ リイライ リイリイライ ヒョコ!」と言いながら竹竿で地面をつつきながら大きな輪になって回ります。
そして最後の「ヒョコ」で竹竿の周りをくるんっと一回り。

掛け声を修正するとすれば

ヒョウコーリィライ コーリィライ コーリィライ ヒョウコーリィライ
馮黄梨来 黄梨来 黄梨来 馮黄梨来 馮黄
「ヒョコ」は「ヒョウコー」
となりますか。余計なお世話ですが。


「ヒョウカリィライ」祭りの解釈を取り違えたのは、山幸彦(彦火々出見命)と海幸彦(天忍穂耳命)がライバルであり、対立関係にあるという解釈からでした。確かに、「記紀」の山幸彦海幸彦の神話はライバルとして描かれています。
しかし、その神話の原点であろうと云われる「高良玉垂宮神秘書」ではライバル関係ではありません。山幸彦・海幸彦の言葉もありません。主人公の彦火々出見命が弟から釣り針を借りるところから始まります。


※高良玉垂宮神秘書 地神五代の「豊玉姫と彦火々出見命の竜宮物語」
豊玉姫(田心姫)は海神の姫君で彦火々出見命と新婚旅行に対馬の竜宮に3年間行かれ、そこで鵜草葺不合命を出産されています。夫婦は和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)に祀られ、その子・鵜草葺不合命は和多都美御子神社(同)に祀られています。

 

高良玉垂宮神秘書 第1条
地神五代
1.天照大神 2.天忍穂耳尊 3.瓊瓊杵尊 4.彦火々出見尊 5.鵜草葺不合尊
天照大神の御子、四人おわします。三人は、天照大神より四代まで継ぎ給う。正哉吾勝々速日天忍穂耳尊、その御弟は天津彦々火瓊々杵尊、その御弟は彦火々出見尊、その御弟を彦ソソリノ尊と申し奉る。この彦ソソリノ尊は神代を継ぎ給わざる故に海の遠くへ参らせ給うなり。
ある時、彦火々出見尊が弟彦ソソリノ尊に釣針を借り給いて、兄の彦火々出見尊は海原に出給いて、鉤を海に入れ給う。アカメクチというもの、この釣針を食い切る。御弟彦ソソリノ尊の持ち伝えの釣針なれば、兄の彦火々出見尊、呆然と呆れて立ち給う所に、塩土の翁と云う者、着たり曰く。我皇子にて、御身の御徳を忘れず。今現れ来たりなり。その御礼を申さんとて、メナシカゴ(目無籠)と云う者に、彦火々出見尊を連れ奉り、海中に招き入れれば、ほどなく竜宮界に着き給われる。
これまでの事の次第を竜王に申し給えば、応えていわく、この世界に三年間逗留されれば、その間に願いを達して申すと云いければ、彦火々出見尊そのとおりに致す、と仰せられる。
竜王「諸々の魚寄せ集めよ」とアカメクチに伝えれば、しきりに寄せ集められければ、諸々やってきたアカメクチのその中に、頬腫れて異なる口を開けて見れば、釣針見つかり、その釣針を密かに取りて、竜宮へ収め給う。竜王の娘と彦火々出見尊、夫婦となり給う。
三年が明けた時、彼の釣針を取り出し、彦火々出見尊へ渡しまいらせけり。彼釣針を受け取りて、夫婦共に竜宮を出で、海上にほどなく揚がり給いて、彼釣針を御弟彦ソソリノ尊へ還し給いけり。
豊玉姫は妊婦となり臨月となり給う。産所を造り給えと仰せければ、鵜羽をもって葺き給う。葺き合せている最中に出産給う。これにより、この御子の御名を彦波瀲武鵜草葺不合尊と申すなり。


 
「高良玉垂宮神秘書」では、古事記で語られる山幸彦と海幸彦の神話に登場する人物が少々異なりますが、話の筋は概ね同じです。恐らく、この「神秘書」の話が神話の原典でしょう。

天照大神には三人の御子がおられ、天忍穂耳尊、瓊々杵尊、彦火々出見尊と述べています。「記紀」と異なり、人物が具体的に表現されています。
また、彦火々出見尊は塩土翁(大幡主)の子と述べています。

 日本書記 兄・火闌降尊(海幸彦)、 弟・彦火々出見尊(山幸彦)
 古事記  兄・火照命・火須勢理命、弟・火遠理命(彦穂々手見命)

 

※海幸彦・山幸彦
「古事記」では、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子は、第一子が火照命(ホデリ=海幸彦)、第二子が火須勢理命(ホスセリ)、第三子が火遠理命(ホオリ=山幸彦、日子穂穂手見命)となっている。
「日本書紀」の本文では、瓊瓊杵尊と木花開耶姫の子は、第一子が火闌降命(ホスオリ=海幸彦)、第二子が彦火火出見尊(ヒコホホデミ=山幸彦)、第三子が火明命(ホアカリ)となっている。一書(二)では火酢芹命(ホスセリ)、火明命、彦火火出見尊(火折尊)となっている。


「記紀」では、海幸彦の天忍穂耳尊の名は出てきません。九州では、天忍穂根尊、その妃・天忍雲根尊の名で出てきます。
「記紀」の天孫降臨の神話では、天照大神、その子・天忍穂耳尊、さらに孫の瓊々杵尊と、天忍穂耳尊は天照大神と瓊々杵尊の孫関係を位置づけるかのような存在感のみです。存在感がないに等しいです。

私は、瓊々杵尊は天照の子とみています。
春日大社の祭祀関係です。

 

春日大社
武甕槌命 - 常陸国鹿島の神(鹿島神宮) 茨城県鹿嶋市宮中
経津主命 - 下総国香取の神(香取神宮) 千葉県香取市香取 彦火々出見命
天児屋根命- 河内国平岡の神(枚岡神社) 大阪府東大阪市出雲井町 天忍穂耳命
比売神  - 天児屋根命の妃(同上)


鹿島(かしま)の神は福岡市の「しかのしま」の神で、大幡主です。彦火々出見命と天忍穂耳命は異名同一神とみます。「天児屋根」の「児」は「許 こ」ではないかと。彦火々出見命の「火」も「許 ほ」ではないかと。
すると、春日大社の祭神は、摂社・若宮神社の二神、天忍許根尊(大幡主)・天忍雲根尊(天照女神)と同一神となります。若宮神社は藤原氏の神社ではありません。和邇春日氏が創立した神社であり、春日大社以前の神社です。

彦火々出見命(大幡主)は許宝玉と許黄玉の子、(「火々=許許」が付いています)
豊玉姫(天照女神)は金首露と許黄玉の子、
許宝玉(宝玉仙人=長遊和尚)は糸島にあっては豊玉彦(とよたま=ほうぎょく)
ではないかと思えるのです。