『赤毛のアン』について友人と話してて
思ったこと。

『赤毛のアン』は
作者自身の体験をもとに作られた
フィクションです。
作者であるモンゴメリは
プリンスエドワード島で生まれますが、
2歳になる前に母親を亡くし、
母方の祖父母に引き取られて
子ども時代を過ごします。
教師になるところなんかも同じ。

プリンスエドワード島に来てからの
アンの人生はずっと幸福です。
長い物語の中では
島の美しさとともに
家族と友人に恵まれたアンの幸福な人生が
ずっと語られていきます。
 
 
 
 

読んでいると、
まるでモンゴメリ自身が
そんな人生を送っていたのかなと
想像してしまいます。

だけど、同時に思うのです。

本当にモンゴメリが
幸せな子ども時代を送っていたら、
果たしてこんな小説を書いたりするだろうか、
と。



美しい島。
そこで起こる
たくさんの素晴らしい日常の出来事。
それはもしかして
彼女がずっと夢見ていて
けれど
手に入れることのできなかったものかも
しれない。

もしもこうだったら、幸せだったのに。

だけど現実はそうでなかった。
だからこそ物語にしたのかもしれない。

でなければ、こんなにも
世界中の人々の心を震わせるような作品を
書くことができるでしょうか。

ただただ幸せな子ども時代を過ごした人が、
その先の未来を見るのではなく
自分の過去について振り返って
物語のネタにしたりするでしょうか。



・・・と思って調べてみたら、
やはり彼女の子ども時代は
かなりハードでした。
無邪気な子どもでいることを許されない
環境だったようです。

モンゴメリは、
叶わなかった理想を描くことで、
現実の不満を消化させていたのかもしれない。

あるいはあの小説自体が
育ての親たちへの
美しい復讐だったかもしれないと思います。

私はあの時、こうしてほしかったの、
そんな作者の少女時代の思いが全て叶った姿が
アンなのだとしたら、
なかなかに切ない物語です。

そして、
アンがプリンスエドワード島に来るまでの
不幸な生い立ちが
モンゴメリと育ての親たちとの間に
実際に起こった出来事だったとしたら、
けっこうな復讐劇です。




・・・と思ったところで、
だから私が今書いている毒親本も
書いていいものなのだ、という
妙な確信を得ましたw


すばらしい芸術の裏側には
それと正反対の思いが込められていることも
多いのかもしれません。

絵画を見ていても
平和を願う美しく幸せな風景画の裏に
戦争の中で悲しい思いを幾度もした経験が
隠れていたりします。

だからこそ、多くの人の胸を打つ。
そういうことは
この世界ではよく起こる。



ところで、
モンゴメリが書いていた日記が書籍化されて
日本語版も出ているらしく、
ぜひともそれを読んでみたいのですが、
なんか、入手困難な感じ・・・
しかも翻訳本は
途中で出版が途絶えている・・・

 むーん。