先日、箱根駅伝予選会の応援に
立川に行ったときのことを少し





予選会の応援からの帰り
JR立川駅を利用したのですが
大勢の人々が往きかう構内で
若いひとたちが募金活動をしていました




ちょうどわたしの子どもたちとおなじくらいの年頃
手には「あしなが学生募金」と書かれた募金箱を持っています





病気や災害、自死で親を亡くした子どもや
親が障がいで働けない家庭の子どもたちの奨学金をつのるものです





週末の昼下がり
足を止めるひとはいませんでした
彼らとおなじ年頃のカップルが
目の前を楽しそうに通り過ぎていきました





我が家もけして余裕があるというわけではありません
でも
子どもたちを希望の学校に行かせることはできています
わたしの子どもたちと
今、すぐそこで声をからしているあの若い男の子たちとは何が違うのか

胸が苦しくなりました




大学に行くことが最上、と思っているわけではありません
末の娘は勉強嫌いで、成績もよくなくて
でも仕事につくために必要な資格をとりたいと専門学校に通っています
また早く社会に出て働きたいと希望する方もいるでしょう




だけど
「学びたい」という希望がありながら
経済的な問題でそれがかなわないというのはつらいことだと思うのです





ドキドキしながら募金をしました
「ありがとうございます」と明るい声で言ってくれた彼に
「がんばってください」と伝えたわたしの声は震えていました
わたしが泣くことなどお門違いだとわかっているのに





安っぽい同情や
中途半端な正義感
自己満足のセンチメンタル?
そう思われても仕方ない
だけど




いちばんの気持ちは
彼らに絶望してほしくなかった
ということです

あなたの声が届いたよ、と
あなたの話をちゃんと聞いたよ、と
そのことが伝わればいいなと思ったのでした
無関心ほど冷たいことはないから…





息子たちが高校を卒業するとき
卒業式で校長先生が
「君たちはこの国の財産だ!」と言って送り出してくださいました
そのように育てていただきました
わたしの子どもたちも
親だけではない、たくさんのひとに育てていただきました

この国の財産である、若いひとたちが
夢を諦めず
それぞれの希望がかなえられるように
それぞれの未来に向かって歩いていけるように
望む選択ができるように、と
願わずにはいられません



子どもたちが小さいころ
PTAの役員をさせていただいていました
そのときの会長さんがいつも話されていたこと

「この頃、自分の子どもさえ良ければという親が増えている。でもそうじゃないんだ。子どもは環境の中で育つ。その環境を作るのが大人たちの仕事なんだよ」

元・子ども
現・大人のわたしにできることは何かを
(たとえ小さなことでも)考えていきたいと思います