ふとtwitterを開いたら、こちらの記事にぼうぜんといたしました。

 

 あいちトリエンナーレ豊橋で、海外のアーティストラウラ・リマ氏のアートが展示されているんですが…それが、生き物を使った展示なのです。

 

 詳しくはこちらをご覧ください。

 (リブログは一件ゆえアートの問題点レビューのみですが、その後、ブログに開催者側との意見交換の内容も記録されています) なんと、廃屋をアミでおおって、その中に100羽の小鳥を放っているのだそうです。

(実際には100羽に満たないようですが、数十羽の小鳥が放たれています)

 

 籠のない鳥は自由でイイような気も一瞬しますが、実際の環境はよろしくありません。

 餌や水のあげ方に問題があったり、調子の悪い小鳥も出たりと問題点が多々出てきてしまっているようです(#)

 

 私は鳥飼いではないけれど、羽をふくらめてうずくまっている小鳥の姿に悲しみを覚えました。

 アートは、うつくしいものではないのか。

 生き物を使うのは、いいのかわるいのか。

  私には、現代アートのことはよくわかりません。

 

 ちょっと乱暴なことを言いますと、マルセル・デュシャンが〈便器のフォルムって実は美しいじゃんアートじゃん〉(意訳)と言ってアートに成し遂げて以来、〈これはアートなの、なぜならアーティストの私がそう言っているのだから!〉とでも言うような、よくワカンナイ難解な作品がどんどん増えたなー、と思うのです(*)

 

 でも、生き物を展示に使うのであれば

 人間のワガママで出演していただくんだから、最低限、その生き物が快適に過ごせる環境を整えるべきではないのか。

 小鳥はモノではなく、生きているのだから、生き物として大切に扱われてほしい。

 そう願ってやみません。

 

 

(#)幸い、開催者側は状況を憂えた方々の意見をくみ取り、状況の改善に動いているようです。

 

(*)もちろん、私は全知全能の人間でもないし芸大美大の出でもないから、独断と偏った知識でものを言っています。自分のブログだもの。

私の理解できないアート例:子の食べ残しの残飯を親がアートという、死体の首がウジに喰われていく動物版九相図をぷらケースに入れ腐っていく経過をアートとして展示したりなど。

 

個人的には、生体であれ死体であれ、生き物をそのままアートに取り入れるのは好きません。だって、小鳥がかわいいのはアーティストの手柄じゃないし…。造形美は自然の生んだもので、アーティストが作ったわけではないし…私的には、創造の怠慢のように思えてしまうのです。

 この展示も、本物と見まちがえるくらい精巧に作った、小鳥の置物が百羽いるんだったら良かったのにね!カラクリ内蔵で、小鳥ロボがときどきはばたいたりするともっと良いかも!