十代からのド近眼人生
両親は裸眼で視力1.5だというのに、私は中学生の頃から目がぐんぐん悪くなった。
高校生のときには、目がよく見えないのでオペラグラスで黒板を見ていた。
そのときの裸眼視力0.3、さすがにこれでは日常生活もままならず、浪人中に初メガネを作った。
何故そんなに視力矯正が遅れたのかといえば、母親の圧力である。
母「女の子はかわいくあるべき」
私「…はぁ、、」
母「かわいくなるにはメガネなどかけちゃダメ!」
私「…ファッ?!?」
というわけで長らく、よく見えないのにボンヤリ裸眼生活を強いられていたんである。
実はこれ、脳には良くないコト。
見ているものの像がはっきり結ばれないと、いろいろと脳のストレスになるらしいからだ。
メガネ VS コンタクトレンズ
大学医学部入学時には、裸眼視力0.03となり、入浴と睡眠時を除き、メガネが手放せなくなった。
医学生当時、一度だけコンタクトレンズにチャレンジしたことがある。
昔はハードコンタクト=目に良い、ソフトコンタクト=目には良くない
という説が流布していた。
(確かに酸素透過性はハードの方が良いが、ハードの方が物理的刺激が大きいので、個人的にはそんなに目に良いというわけでもない…ような気がする)
目にいいと言われ、ハードを付けてはみたのだが…。
これがポロッポロ落ちる。落ちまくる。
目の中でズレるのなんて毎日。
(おそらく、レンズのベースカーブが私の目と合っていなかったのだろう)
そのうち、バッグの中にポロリと落ちたレンズを探していたら、ベキベキに割れて見つかり…交換保証期間内ではあったのだが、目もゴロゴロするしでいまいち好きになれず、それきりハードはやめてしまった。
大学病院でソフトを作ってみたのだが、一日使って捨てるタイプを毎日使っていると、三日を限度にかゆみと目やにが大量出現。
極道使用はせず、朝開けては夜捨てていたのに、である。
あえなくソフトレンズ使用もあきらめた私は、メガネっ子人生へ一直線となった。
私がレーシックをしないわけ
それはやはり、術後に後遺症が出るか出ないか、やってみなければわからないからである。
しかも、後遺症が出たら、治るかどうかもわからない。
二個しかない大切な目玉に、替えは効かない。
むろん、知人でレーシックを受け、快適に裸眼生活を送っておられる方もいらっしゃる。
そういったケースは良かったねーと心から思うし、うらやましくも感じる。
それから、医師は割と顕微鏡を覗いたりすることがある。
こういう時にレーシックを施術した目では焦点が合いにくいと言われていて、それも踏み切れない理由の一つなのだ。
最近こんな記事を見つけた。
僕たちは、レーシック大好き眼鏡眼科医です!!
という2013年12月のブログエントリー。
話題がやや古くて申し訳ないが、ババーンとレーシック推進派として載っているご尊顔は、我が師・坪田一男先生である。
カケオチして病院からバックれた一新人研修医のことなど、坪田先生は覚えておられないであろう。
だが、その年の新人研修医(含む私)一同が先生の家に招かれ、ヨットの話など楽しい時間を過ごしたことは、私にとって大事な思い出の一つとなっている。
坪田先生といえば、ドライアイの第一人者。
メガネショップjinsでドライアイ用眼鏡の開発に協力したことでも知られている。
【JINS Moisture 2013】眼を保湿するメガネ オーバル(度なし) (ワイン)/JINS
Amazon.co.jpそして、上のリンク先でのお写真であるが、テンプルの特徴的なポケットから見て、先生がかけているのはその、JINSのドライアイ専用眼鏡だ。
これは度なしでコンタクトレンズをした上からかけることもできるし、度あり(追加料金かかるけれど…)でフツーの眼鏡のように使うこともできる。

私も愛用中♪(色はワイン)
自らが開発した眼鏡をかけているのだから、坪田先生はゆるしてあげて…とこの記事を見て思った私であった。